当事者として、その人に合ったアドバイスができるようになりたい

インタビュー実施日:2017年8月20日

経歴~挫折の季節を越えて~

 

(島本)
まず、経歴について伺います。
東京の大学を出てSEの仕事
に就かれたそうですね?

(西村)
はい。
主に製薬会社で
システムの構築に関わっていました。

(島本)
大学で学んだことを活かしてSEに?

(西村)
大学時代は経済学部で
司法試験に挑戦していました。

でも、そちらは断念して、
方針転換しました。

いろいろ見て回る中で
エンジニアの選考会に参加したんです。

(島本)
そこで何かピンとくるものがあった?

(西村)
そうですね。
キャリア意識の高い人が多くて。

(島本)
集まっている人を見て、
自分が成長できるのではないかと感じた?

(西村)
法律の勉強もそうですけど、
積み重ねですよね。

エンジニアも似たところがある
と感じました。

もともとコンピューターに
詳しい訳ではなかったので迷いました。

でも、挑戦してみようかと。

(島本)
で、入ってみたら、
激務だった?

(西村)
そうです。

私の上司が転職、
直属の上司も産休に入り、
関連会社のパートナーも退職
といろいろタイミングが悪く、
人手不足でした。

更に事業状況も
大変な時期でと。

(島本)
業務の負担が
西村さんにかかってくる状況だった?

(西村)
はい。
自分でコントロールできれば
良かったんですけど。

(島本)
それって入社後すぐの頃ですか?

(西村)
1年目ですね。

(島本)
その頃にパニック障害の症状が
出たそうですが、言える範囲で
どういう症状なのか大まかに
教えて頂けますか?

(西村)
通勤事情が悪く、
満員電車の中で
身動きが取れません。

その時に自分が急に
発狂するんじゃないかとか、
気を失いそうになるというか。

(島本)
それが実際に起こっている
訳ではないけど、
そうなるという感覚に襲われる?

(西村)
はい。

(島本)
それは激務による心身の疲労に
起因するものなのでしょうか?

(西村)
関連はありますね。

あと、元々小さい頃から
閉所が苦手というのはありました。

公園にあるトンネルをくぐる遊具で、
後ろと前から同時に人が来たら、
「うわ、どうしよう」って感じで
気分が悪くなっていました。

(島本)
そういう傾向と相まって
というところもあるんですね。

そういう症状が出るようになって、
病院には行かれたんですか?

(西村)
検索して調べてみたら、
パニック障害の事例に
似ていたので
心療内科に行きました。

(島本)
そこで「パニック障害」
という診断がドンピシャで出た?

(西村)
はい。
かなり進行していました。

(島本)
それを会社に相談は?

(西村)
しました。

人員の問題があり、
服薬しながら働きました。

人事部の方が面談してくれましたし、
産業医の方も来てくれました。

そういう部分のフォローは
凄くしてくれたと今でも思っています。

(島本)
理解のある会社だったんですね。
ちなみにそれっていつ頃の話ですか?

(西村)
2007年か2008年か。
入社3年目くらいで
私が24か25くらいだったので、
10年ほど前ですね。

(島本)
ということは、
その頃にしたら、
そういうケアの環境としては
進んでいる会社ですよね。

(西村)
そうですね。
人事部の責任者の方が
その分野に関心をもたれていて。

(島本)
で、その後仕事の忙しさは
あまり変わらなかったのでしょうか?

(西村)
多少緩和されました。

(島本)
それに伴って、
症状は小康状態になりましたか?

(西村)
服用していた薬の
副作用が先に出ました。

ですので、パニックは
収まりませんでした。

(島本)
薬が合っていなかった?

(西村)
はい。
一部は継続して服用していますが、
その後組み合わせは結構変わっています。

発作が収まらず
会議に出られなかったり、
副作用の眠気がありました。

で、仕事を継続するのに
支障を来していたので、
休職届を出しました。

(島本)
その後もなかなか好転せずに
SEのお仕事を辞めることになった?

(西村)
そうです。

休職中に自宅療養で散歩したり、
プールに行ったりして
治療に専念しました。

安定してきた時には
勤務しましたが、
復職までは難しかったです。

(島本)
それで退職の判断をされたのでしょうが、
それは入社後どれくらいの時ですか?

(西村)
入社して3年半くらいですね。
一度リセットして、
再チャレンジしてみようと。

(島本)
SEを辞めてから、
宝塚の実家に戻られて豊中市の
臨時職員をされていますね?

(西村)
そうです。

まず、こちらに知り合いが誰もいなかったので
地域の事を知っていこうと思いました。

川西や宝塚がどういう地域なのか
SNSを通じて教えてもらったりして、
そこでたまたま空きがあると知りました。

(島本)
それはどういう仕事内容だったんですか?

(西村)
職務内容は資料づくりとか
パソコンなどの機器管理等です。

(島本)
機器管理の仕事については
SE時代の経験が活きましたか?

(西村)
ええ。
でも、この時もまだ体調の波があって、
仕事に行けたり、行けなかったり
という状態でした。

(島本)
その時の勤務体制はどういう感じでしたか?

(西村)
勤務時間は一日8時間
かつ週5勤務のフルタイムでした。
でも、パート扱いで日給制でした。

自治体によるでしょうが、
正職員、パート職員の区分があって、
パートは契約期間である半年ごとの更新です。

(島本)
その後に高校で情報の授業の補助をされた?

(西村)
で緊急雇用創出事業という
国の政策がありました。

兵庫県がちょうど県内の公立高校で
授業のICT化を目指して、システムを
導入するということでした。

現場にそういうことができる先生が
事実上あまりいなくて、受託した会社が
その導入をするのが本来の趣旨です。

ただ、情報の先生のスキルによっては
派生業務がありました。

本来の趣旨からは外れますが、
僕が入ったところは学校のホームページ
を作って欲しい、情報の授業の
サポートをして欲しいと。

(島本)
その時も体調の波がある状態
が続いていたんですか?

(西村)
これは週3の仕事で、
その時は割と安定していました。

(島本)
やはり勤務時間の影響は大きい?

(西村)
豊中の仕事から変わって
安定していましたね。

(島本)
ちなみに、この頃に薬の組み合わせ
が変わった等ありましたか?

(西村)
あんまり覚えてないなぁ・・・。

(島本)
笑。

(西村)
カウンセリングや東洋医学の漢方
とか色々試してはいました。

(島本)
パニック障害のみで手帳の取得は
難しいようですが、うつの診断も
あったとのこと。

障害認定の申請は
されなかったのでしょうか?

(西村)
精神通院の場合、負担が1割になる
自立支援医療の制度
病院で教えて頂いて、
「利用してはどうか?」
とのことで、これは申請して、
3割負担が1割になってはいました。

(島本)
ちなみに、精神障害者保健福祉手帳の交付
を受けると、何かその部分は変わるんですか?

(西村)
手帳は医療でなく福祉制度なので別です。

手帳取得によるメリットは
映画館等が安くなる、障害者雇用
に応募できるくらいかなぁ。

今は手帳のことをよく知っています。

(島本)
当時は自分に直接関係する
医療の部分では必要ないと?

(西村)
多分、身体、療育以外に精神の手帳があると
当時は思っていなかったかもしれない。

福祉に詳しくなった今にして思うと、
何で手続きしなかったんだろう
というのはあるかなぁ。

(島本)
キャリアに話を戻します。
この後、パソコンスクールの管理者になって
ここでかなりのストレスがあったそうですね?

(西村)
そうです。

生徒を集める必要があったのですが、
企画があまり上手くいかず、
そこがダメだと収益にならないんで。

(島本)
それで経営者に色々言われた?

(西村)
そうですね。

(島本)
そこでの勤務時代に
安定していた症状が悪化した?

(西村)
はい。
社長のトップダウンで動いている組織で、
他の社員さんは病気について
理解があったんですけど、
その社長には通じませんでした。

水・土が休みで、
日曜は営業日でした。

で、日曜日に調子が悪くなって
「休ませて欲しい」と言ったら
めちゃくちゃ怒られて(苦笑)。

「ここは休めないんだな」
という日々のプレッシャー
が大きくなっていきました。

(島本)
結果、退職されていますが、
どのくらいの期間在籍したんですか?

(西村)
緊急雇用対策事業の
受託企業がやっていたので
期間としては1年半くらいです。

(島本)
そこそこ続けられたんすね。

で、次にガラッと毛色が変わって、
お父様の農業の手伝いをされたそうですね。

これはどこでされていたのですか?、
また、リハビリ的なものだったんですか?

(西村)
昨年農業も引退しましたけど、
父が会社を早期退職して、農業学校で勉強して
西谷※の方に土地を借りていました。

※島本と西村さんの暮らす住宅都市、宝塚
の北部に当たる比較的自然豊かな地域

(島本)
へぇ。

(西村)
パソコン教室の管理者をしていた時は
心身共にかなり疲弊してしまって、
もう二度と社会復帰できない
と思っていました。
それくらい落ちていました。

(島本)
ここまで話を伺って、
小さい頃から狭いところが苦手だった
という部分があるにしても、
やはりその時々の環境が
精神面に与える影響が相当大きいと感じます。

(西村)
僕もそう思います。

福祉的就労との出会い

「自殺 楽な方法」と検索したことが良い結果に!?

(島本)
以前、少し話をさせて頂いた時
一番印象に残っているのが、
仕事していて、
一番きつかった時期の
エピソードです。

自殺について検索して、
厚労省のサイトに
アクセスしたんですよね?

(西村)
はい。

(島本)
ホンマに死にたかったら、
「楽な死に方」とかって
検索しそうですけど。

(西村)
そうですね。
多分そんな感じで検索しました。

「自殺 楽な方法」だったかな。

(島本)
そしたら、厚労省がトップに出てきた?

(西村)
いや、トップではなかったと思います。
グーグルの検索でヒットした
サイトを見ていたら、
たまたま厚労省のサイトがあって。

で、厚労省のサイトだけでなく
他のサイトも見ました。

(島本)
他のサイトには練炭がどうとか
書いてあったんですか?

(西村)
ええ。
ああ、こういうのが
必要なんだと思って(苦笑)。

上から順番に見ていって
その中に厚労省があったんです。

(島本)
厚労省のサイトの前に見たモノで、
これで行こうとはならなくて
本当に良かったですね。

(西村)
そうですね。
「何かありきたりな感じだなぁ」
と見ていて、
幸い決意する前に
厚労省のページに辿り着きました。

(島本)
厚労省の前に自殺という選択
をしなかった。

死にたくなかったのか、
死ねなかったのかは分かりません。

「まだやれるはずだ」
というような思いがあった?

なぜだったとお考えですか?

(西村)
今の気持ちも入っちゃうから、
微妙ですけど
当時はかなりネガティブ
だったと思います。

でも、どうせ死ぬんなら
何かやってみてからでも
同じだろうみたいな感じ
だと思います。

(島本)
で、その時厚労省のサイトで
福祉的就労※のことを初めて知った?

※契約に基づき、支援を受けながら、
労務を提供し、職業的な訓練をしたり、

軽作業などをして社会参加の場
として活用する福祉サービス

(西村)
はい。
それまでは仕事するなら、
ハローワークに行って、
面接を受けて、やるかやらないか
という選択と思っていました。

(島本)
その後、市の障害福祉課に
すぐに問い合わせされた?

(西村)
はい。
結構早かったですね。

厚労省のサイトを見て、
「福祉的就労」で
更に検索し直して、
関東の自治体の取り組みを見て。

(島本)
それでこういう働き方
があるのかと興味を持った?

(西村)
そうですね。

で、ダメ元で宝塚市にも
こういうものがあるかな、
と電話してみたら、「ありますよ」と。

(島本)
それで手帳や受給者証が必要で
というような手続き的な話があった?

(西村)
いや、なかったような。

(島本)
苦笑。
順序的に計画相談※
が手帳無しで
先に入ったんですか?

※サービス等利用計画についての相談及び作成
などの支援が必要と認められる場合に、
障害者(児)の自立した生活を支え、障害者(児)
の抱える課題の解決や適切なサービス利用に向けて、
ケアマネジメントによりきめ細かく支援するもの。
(情報源:障害のある人に対する相談支援について
厚生労働省)

 

(西村)
当時、計画相談の制度がまだ浸透していなくて、
市職員が窓口になってヒアリングしてくれました。

「どういう状況ですか?」という感じで色々話す中で
「自立支援医療を使われているなら、
それで受給者証は発行できる」ということで。

今は必須ですけど、当時は計画相談が任意でした。

それでも、「計画相談をお勧めしていて」
ということで事業所一覧をもらいました。

(島本)
以前チラッとお話を伺った際、
この時に関わってくれた市職員
2人のお名前がスッと出てきたので、
かなり印象に残っているんですよね?

(西村)
そうですね。

結構付き合いが長くなったというか、
事業所に行っている間も定期的に立ち寄って
相談させてもらっていました。

で、まずは事業所の利用者になったわけですが、
そこで代表の方から「職員にならないか」と
誘いを受けて、サービスの利用が終了になりました。

福祉的就労が終了になったので、
お世話になった市職員お二人に報告しよう
というタイミングでお一人が異動に、もう一人が
定年退職になったんです(苦笑)。

(島本)
それだけ相談に行かれていたということは
信頼が厚かったと思います。

ここに相談にいくことは、
医療分野のカウンセリングとは違う
作用があったんでしょうか?

(西村)
そう言われるとそうだなぁ。
他のカウンセリングは
あまり長続きしなかったです。

でも、ここへはお二人と
話したくて行ったという感じでした。

そのうちのお一人は
僕の利用した事業所の
他の利用者を計画相談で
担当されていて、事業所にも結構
顔を出していました。

僕みたいな人が他にいるんだ
ということがこの時期に分かりました。

また、お二人はそういう人達と
多く接していました。

だから、安心感のようなものが
あったかも知れません。

(島本)
結果的に福祉的就労の利用で
状況が好転した訳ですね。

でも、その情報を持っていても
実際に行動に移せる人ばかり
ではありません。

ここで一歩踏み出せたのは、
お話にあった自殺について調べたけど、
どうせ死ぬなら、何かやってからでも
という思いからでしょうか?

(西村)
そうでしょうね。
そんなに前向きではなかった
と思いますけど(笑)。

とはいえ、死なずに今があるのは
ちょっとでもそういう気持ちが
残っていたからでしょうね。

(島本)
最初は福祉的就労の利用者の立場で
働かれていた訳ですが、
どんなことをしていたんですか?

(西村)
いきなり請求事務※
とか給与計算の仕事
をしていました。

福祉サービスの事業所には
障害者の利用実績に応じて
助成金が支給されます。

その助成金を行政に請求するために
必要となる一連の事務のこと

これは他の事業所では
まずないでしょうね。

給与は個人情報ですし、
請求事務の資料作成は
そんなに難しい訳ではないですが、
報酬体系は奥が深いです。

それをミスしたら、
事業収益が大変なことになります。

普通は任せないと思います。

(島本)
それは他の利用者もやっていた?

(西村)
元々代表がやっていた仕事を
A型事業所※として利用者でやっていく
というのが狙いだったみたいです。

就労系の福祉サービスのうち、
利用者である障害者と雇用契約を
締結する。

この種類の事業所では
利用者に最低賃金を
支払うことが義務付けられています。

(島本)
請求事務について
他の事業所から受託して、
代行していく構想だったんですか?

(西村)
将来的には考えていたらしいですが、
結局自社分だけになりました。

(島本)
ところで、福祉的就労の場合、
労働時間については一般的に
週20時間くらいになりますよね?

(西村)
はい。
最初1ヶ月は1日2時間、
週10時間でした。

で、少しずつ1日4時間になりました。

やっていくうちに事務の仕事は
すごく面白いな、と
感じるようになりました。

最初は初めてのことなので、
ミスも多かったです。

でも、代表は僕らを責めることなく、
逆に「説明不足で申し訳ない」と。

で、この時の利用者のチームは
割と結束していて、
エラーを減らそうと
自然にまとまりました。

精神疾患との向き合い方

福祉事業所が適正に運営され、選択肢を提示できるような取り組みに参画したい

 

(島本)
診断としてはパニック障害とうつ
だったとのことですが、
生活上具体的に何に困りましたか?

(西村)
とにかく疲れやすいことです。

眠ることが多くなって、
生活リズムが乱れました。
それを直すのが大変でした。

(島本)
社会生活に適応しにくくなっていた?

(西村)
はい。
それに伴って、今まで当たり前にできていたことが
いちいち不安になりました。

電車に乗ったらパニックの反応
が出るんじゃないかとか。

これは今もありますが、今日は体調がいいけど、
明日は悪くなるんじゃないか、とか。

とにかく一つ一つの行動について
不安がつきまとう。

(島本)
素朴な疑問ですが、
その感じと診断が出ていなくても
心配性というのがありますよね。

どういう違いがありますか?

(西村)
他の方の心配性がどういうものか
僕には分かりません。

でも、昔の自分と今の自分の比較
はできます。

それに照らすと明らかに
程度が違いますね。

心配性の方も疲れやすい
のかもしれませんが。

(島本)
薬で緩和することで対処
していたのでしょうが、
不安でも生きていくために
仕事はしないといけない。

身を投じてみて、杞憂に終わった
という経験もあるかと思います。

認知行動療法※って
ありますよね?

※認知行動療法(CBT)とは、
患者自身が自分の心(認知、行動、身体、気分)
の状態や関連性を知り、
それを変えられるという実感を通して
自らを制御する力を身につけていく
自己コントロール法である。
(中略)このように、人間の気分や行動は、
認知のあり方(ものの考え方や受け取り方)
の影響を受けることから、
しばしば認知の偏りを生じる。

CBTは、その偏りを修正し、
問題解決を手助けすることによって
精神疾患を治療することを目的とした心理療法である。

(参考文献:『岩手大学教育学部
附属教育実践総合センター研究紀要
 第14号』 2015年 岩手大学教育学部
附属教育実践総合センター/編 p.451)
出典:http://ci.nii.ac.jp/ncid/AA11844473

 

こういう積み重ねで改善することはなかったのでしょうか?

(西村)
就労継続支援事業所を
利用している時がまさにそれでした。

最初、利用が決まり、
これから毎日仕事となりました。

まずしたことが電車の回数券を
買うことでした。

でも、「コレ全部使い切れるかな」
という不安しかなかったです。

(島本)
でも、行っているうちに
何とかなった?

(西村)
そうですね。
まぁ、これは慣れですよね。

あと、工夫することで
自分なりの対処法
ができてきます。

ボォーッとしていると、
余計なことを考えてしまう。

それならば、本を読んだり、
ゲームをしたりすればいいや、
みたいな。

体調が悪くなっても
30分休めば回復するというのが
分かってきたこともあって、
早めに家を出る等実践しました。

(島本)
向き合う中で分かったこと
が結構あったんですね。

(西村)
はい。

(島本)
周りの配慮の有無も
症状を左右する要因の一つで、
理解のある職場とそうでないところ
双方経験されていますよね。

社会人になってから
現在まで10年くらい
経過しています。

社会の理解は良い方向に
変化していると感じますか?

(西村)
はい。
精神疾患については
特にそう感じます。

(島本)
それは例えば、
「うつなんです」
とカミングアウトした場合、
配慮してもらえるとか?

(西村)
配慮の前にそういうことを
言いやすい世の中
になったと思います。

「パニック障害で飛行機に乗れない」
「うつだからこれはできません」
って、僕がかかった当時は、
タブー以前に、
そもそも「え、何それ?」
みたいな感じでしたね。

(島本)
そういう本が結構売れて、
認知されるようになりましたよね。

(西村)
そうですね。

ちょうど有名人の「実は・・・」
というカミングアウトもありました。

それが雇用に良い影響を与えているのかは
まだ目に見えては分かりません。

でも、法定雇用率の引き上げを踏まえ、
そういう特性のある人がどうすれば活躍できるかに
関心を寄せる経営者の方は増えているのかなと感じます。

(島本)
動く中で自分なりの対処法を
見つけられたとのことですが、
具体的にどういう時に
体調が変化しやすいですか?

また、どのように対応しているのか
合わせて例を挙げて頂けますか?

(西村)
確実に言えるのは
気候の変わり目に
変調しやすいですね。

で、対処としては
事前にそのことを
関わる人に伝えます

(島本)
気候の変化というのは、
天気とか気温の変化(寒暖差)
も含まれますか?

(西村)
気温は予測が立ちやすいので、
着るものとか空調で対応します。

ただ、気圧とか湿度の変化
はコントロールしにくいかな。

(島本)
そういう変化に左右される
のはうつの方の傾向
としてあるのでしょうか?

(西村)
ありますね。

うつや統合失調等、
精神疾患の診断を
受けている人は
少しの気候の変化
でガクッと体調を崩します。

そういうケースを多く
見てきました。

(島本)
自分自身がその事を知って、
影響が少なくて済むように
事前に周りの人にその情報を伝える。

それによって、「体調が悪い」
と言える段取りを整える?

(西村)
ええ。

あと、不安が不安を呼びます。

だから、
「ある程度体調が悪くなったら休もう」
みたいな感じで開き直って、
それで出たとこ勝負でいってみたら
大丈夫だったということは多かったりします。

(島本)
素人の僕が今の話を聞くと、
それができる人はうつにならないんじゃないか、
と率直に思ったんですけど(笑)。

(西村)
そうですね(笑)。
こういう発想ができるのは
うつ状態にない時です。

割と仕事もうまくいっていて。

気持ちが前向きな時は
自分自身をうまく騙せるというか。

(島本)
すごく興味深いです。
(利用されていた事業所のメンバーは)
就業経験のある精神疾患の方が多かったんですか?

(西村)
はい、そうです。

その中でどうすれば
事務上のエラーを
減らせるか検証して、
皆で共有するようにしました。

(島本)
やり甲斐を持って仕事されていた
ようですが、福祉的就労の場合、
賃金はそれまでの仕事より下がりますよね?

それでも前向きに頑張ろうとなれた?

(西村)
そうですね。

勿論、お金は必要ですけど、
どちらかというとお金より居場所があることが
凄くうれしかったです。

(島本)
うんうん。
で、そこで認められて
利用者の立場から事業所の正職員
に登用されたんですよね?

(西村)
はい。最初は体調面で不安がありました。

でも、そこを辞めるまでの
最後の1年程はそういう形でした。

(島本)
その時の労働時間は
法定の1日8時間で週5日勤務
という感じ?

(西村)
そうです。残業はなかったですけど、
休日出勤はありました。

(島本)
体調は保ったんですか?

(西村)
良くはなかったけど、
頑張れたという感じでした。

(島本)
仕事に対するモチベーション
でカバーできた?

(西村)
ええ。そもそも、にそういう特性
があるという認識が共有されていたので
仮に体調が悪くなって
むことがあっても、
「何やってんだ!」
とならないという安心感が大きかったです。

(島本)
ここで得られたこととして
大きかったことは何ですか?

(西村)
う~ん。
色々ありすぎて難しいです。

(島本)
先におっしゃっていた
開き直ることができれば、
頑張れるというような特性
についての自己理解が
この環境だからより深くなった
と思うんですけど?

(西村)
そうですね。
そういう部分について
落ち着いて向き合えた
というのはありますね。

(島本)
自分のことを
より引いてみられるようになった?

(西村)
はい。

(島本)
話を進めます。

この事業所で勤務されている時に
現在お勤めのプラムロック代表の熊渕さん
とご縁があった?

(西村)
はい。

(島本)
きっかけは?

(西村)
事業所が様々なサービスを展開していて、
地活(地域活動支援センター)※
もやっていました。

※(ちいきかつどうしえんセンター)とは、
障害者自立支援法を根拠とする、
障害によって働く事が困難な障害者の
日中の活動をサポートする福祉施設である。
ウィキペディアより抜粋)

最初、事業所の面談(一般の会社で言うところの採用面接)
が地活のジュースバーでありました。

その時に地活の施設長をやっていたのが熊渕です。

(島本)
当時、そのグループ内の地活の施設長だった熊渕さんが
新たな事業所としてプラムロックを自分で立ち上げられた?

(西村)
そういうことになります。

(島本)
この時期に自分の特性を把握して、
それなりの期間働いたという実績もできた。

その先を考えた時に、
色んな可能性があったと思います。

その中でまた同じ福祉的就労の分野を
選択されています。

なぜ、そうされたのでしょうか?

(西村)
う~ん。
僕が事務をする中で
首をひねるような運営があって、
熊渕さんと交流する中で
色々話し合ってきました。

障害者を支援するって
どういうことなんだろう
という深いところから
表面的な話まで。

(島本)
熊渕さんとの相性が良かった?

(西村)
そうです。
どんな組織、どんな会社
がいいかずっと話し合いました。

で、新しい会社を立ち上げようと
思っているという話がありました。

(島本)
それで、この人と
一緒にやってみたいと?
熊渕さんは年下で、
元声優なんですよね?

(西村)
今、28か9です(インタビュー当時)。

そういう経緯で
「新しく作りたいね」
と話がありました。

それに僕自身が福祉的就労
に助けられたというのは
紛れもない事実です。

宝塚の福祉の力になれないかな、
という思いはずっとあります。

最初に利用した事業所は
僕に大きなチャンスを
与えてくれました。

そこを通じて今一般就労で
一生懸命頑張っている
精神障害者達もいます。

何が立ち直るきっかけになるか
分からないです。

要は福祉事業所が適正に運営され、
選択肢を提示できるような
取り組みに参画できればいいなと。

障害当事者の就労支援

(島本)
最初の事業所は
精神の方だけだったけど、
現在勤務されているプラムロックには
精神だけでなく、身体、知的も含めた
三障害の方がいらっしゃる?

(西村)
ええ、います。

(島本)
西村さんの仕事は就労系の福祉サービス
における支援ですよね。

制度的には、一応
就労継続支援B型→A型→就労移行支援
→一般就労(法改正により新設された
就労定着支援)のようなイメージで
キャリアアップすると想定されていますよね。

実際そうなっていますか?

(西村)
なかなか難しいですね。

(島本)
事業所経営をある側面から見ると、
自分の事業所に障害者が
留まってくれた方がいい
と言えるかと思います。

その点も踏まえてどうでしょう?

(西村)
就労系の中でも、
現在A型がすごく叩かれています。

それを受けて、A型の仕事内容が
高度化してきました。

BからAにステップアップ
していくのは僕らからすると
嬉しいことです。

ただ、ついていけずに
戻ってきてしまう事も多い。

また、もともとAにいた方が
Bに移るケースもあります。

(島本)
そうなんですね。
では、障害の種類は無関係に
障害者と関わっていて、
こういう方が就労に適応しやすい、
長続きするというような傾向はありますか?

(西村)
端的に言うと、継続できる前向きな方が
うまくサービスを利用していると思います。

事業所や組織に不信感
を抱くケースはあるだろうし、
実際ちゃんと人員配置
されていないような
怪しいところもあります。

できるなら、それすらプラスに捉えて
俺が現場仕切ってやるくらいの。

(島本)
え!そういうタイプの利用者
って歓迎されます?

というのも、いわゆる
「出る杭は打たれる」は
福祉的就労の世界にも
当てはまるような気がするから。

(西村)
自己主張が強すぎると
煙たがられるでしょうけど、
さりげなく前向きに捉えるというか。

僕は最初に福祉的就労
を利用した時こう言っていました。

「僕らは事業所を利用すればいい。
向こうも僕らを利用しているんだから」
と。

これはプラムロックの利用者の方
にも言っています。

お互いにとっていい関係を前提に、
「こうした方がいい」
というのは聞きますし。

(島本)
いいお仕事されていますね。

ご自身が精神疾患のある中で
支援の仕事をされていて、
その中で法改正により今後
精神障害者の就労が進む
と見られています。

精神障害者の就労における課題
とそれに対する改善策
について見解をお聞かせください。

(西村)
療育、身体、と異なり、
発達を含まない精神障害
に対しては絶対できないことが
一つあると僕は考えています。

その人の辛さを
追体験しにくいことです。

疑似体験ではあるけど、
例えば聴覚障害なら
1日耳を塞ぐ。

視覚障害なら
1日アイマスクをすれば
近づくことができる。

つまり想像しやすい。

精神の場合、
ある程度こんな感じ
というのを聞くことはできる。
でも、イメージしにくいと思います。

ですから、精神障害当事者
の僕でも精神障害者と接するのは
難しかったりします。

勿論、自分の辛さと似ているな、
と共感できることもあるけど、幅が広い。

僕みたいに体調が悪くなって
寝ているケースもある。

また、ハイとローが激しい双極性障害
更に、幻覚や幻聴がある
統合失調等もあります。

当事者でさえ共感は
限定的になるかなと。

そこにどう取り組めばいいか・・・。

(島本)
雇用率が上がって、
実際に就労する当事者が増えても、
その部分の理解をどうすれば促進できるか
について最適解と言えるモノは
すぐに思い浮かばない?

(西村)
そうですね。

(島本)
とりあえず何からすればいいですか?

(西村)
これが正解だと示そうとすることよりも、
色んな当事者からまずは話を聞いていく
必要があるだろうと思います。

(島本)
社会参加する当事者が増えるのは
いいことだし、それによって、
接する機会が増えるのは大きな1歩ですよね。

(西村)
ありきたりですが、
お互いに歩み寄ろうとするならば、
Win-Winになれるような
知恵が必要かなと思います。

(島本)
知恵?
どんな?

(西村)
療育(知的)の方を例にとると、
語弊があるかも知れませんが
答えが出やすいです。

「この人に同じ事を何回言っても忘れる」
というのはマイナスの捉え方です。

でも、「この人にある作業を
してもらおうと思えば、
3日おきに同じ事を
言ってあげれば良い」
特性を捉えてうまく支援をする。

そういう発想の転換
みたいなものですかね。

(島本)
先ほど特に精神障害の場合、
その人の状況をイメージしにくい
という話がありました。

他方で、例示して頂いた療育の方の話
を広げて考えると、当事者一人一人の傾向を
捉えていくといいという感じでしょうか。

事業所の取り組みと西村さんのビジョン

(島本)
「プラムロック」では、
共同受注窓口になる
という取り組みを
されているそうですね。

これは具体的に
どういうものですか?

(西村)
内職などの仕事を下請けでやり、
納品して作業工賃にする。

これをこれまでは各事業所が
バラバラにやっていました。

しかし、これでは、組織の規模が違うので、
なかなか大きな仕事ができない。

でも、収益の安定を考えれば
大きな仕事をやっていきたい。

(島本)
一つの事業所では無理でも、
力を合わせて大口の案件を受けて、
分担して完了させる仕組み
という理解で合っていますか?

(西村)
そうです。

もう一点この仕組みのメリット
を挙げると、
適正な価格を共有できることです。

同じ仕事内容でも、別々で受けていると、
交渉力の差が出ます。

そうなると、足下を見られてしまいます。

主婦の方が同じ内容のことを
やっていても、障害福祉事業所
の方が単価が低いという課題があります。

(島本)
それは障害者のやる仕事だから
こんなもんだろうという理屈?

(西村)
まぁ、そうなるんですかね。

それを透明化して、
適正に受注していく。

逆に、事業所側にも
質のバラツキががあります。

上手なところもあれば、
欠品が多いところもある。

こちらはこの仕事であれば
この価格で引き受けます。
また、これだけの品質は保証します。」
と言えます。

例えば、欠品率を2%以内
に抑えるなど主導していくのが
共同受注窓口の役割です。

(島本)
話が前後しますが、
現在の仕事における
西村さんの肩書き
は何になるんですか?

(西村)
ただの事務員ですよ。

(島本)
何か資格名は付かないんですか?

(西村)
有資格者ではないので、
社会福祉主事だけです。

(島本)
サービス管理責任者(通称サビ管)※でもない?

※この説明をここに引用すると
長くなります。

※「Yahoo!知恵袋」に大まかなイメージ
を掴めるQ&Aがあったので、
リンクをご参照ください。

(西村)
サビ管は実務経験が必要で、
直接支援だと社会福祉主事の場合
5年です。
私はまだ福祉分野の経験が2年で
要件を満たしていません。

(島本)
会社としては早く
要件満たしてくれ、
という感じですか?

(西村)
ゆくゆくは全員がそれくらいに
なって欲しいみたいですね。

(島本)
プラムロックは計画相談支援
もやっているんですよね?

(西村)
事業としてはやっていますけど、
今僕個人に求められているのは、
経理とか税務とか人事
あとは適法性の判断などですね。

(島本)
今までの経験が
重宝がられているんですね。

最後の質問です。

先に話に出た現職への転職動機
と重複するかもですが、今後、西村さんがやっていきたいこと
を教えて頂けますか?

(西村)
当事者として、ピアサポーター※になり、
気持ちのサポートをするのが
できることだとは思います。

※同じ症状や悩みをもち、
同じような立場にある仲間
英語で「peer」(ピア)が、
体験を語り合い、回復を目指す取り組み。
コトバンク」より抜粋

特別に何かできるか、と言われると、
何もできる力はありません。

強いて言うと、自分自身こんな時は
こうしてきたと伝えることが一つです。

もう一つは、
こういう制度がありますよ」
と教えてあげる。

特に経済的なバックアップとしての
障害年金についてなどです。

生活保護まで行かなくても
生活困窮者自立支援法で
とりあえず住むところを
何とかすることができるとか、

もっと言えば、障害福祉サービス自体
まだ認知度が低いので、ウチはB型ですけど、
A型というのもあるよとその人に合ったアドバイス
ができるようになりたいです。