想像してほしい。今回、神出病院で起こってしまったような虐待事件が、
一般の病院で起きたとしたら。。。どう感じるだろうか?

あり得ない! それとも、やっぱりな。。???

「スティグマ」という言葉がある。様々な定義の違いはあるものの、
「精神疾患を持つ人々に対する一般人の否定的で偏見ある態度」を意味する。
そこには、①
不知ignorance)、②偏見(prejudice)、③差別(discrimination)
といった要素が含まれる。そしてその根本には、「精神を病んだ者は、社会にとっても
彼ら自身にとっても、何の価値もない」という潜在意識が存在する、ようだ。

本当に!?
いや、「何の価値も持たない」ってことはないんじゃない?さすがに。。

と思ってしまうのだが、
では普通の疾患(例えば、風邪や肝硬変や骨折)にかかるのと、
精神疾患(例えば、うつ病や総合失調症や認知症)にかかるのとは、
あなたやあなたの家族にとって同じ意味ですか?と聞かれると、
多くの人が、答えに躊躇してしまうのではないだろうか。

言葉が現実をあらわにする

言葉が与えられて、初めてその事実や現象に気付くことがある。
それほど、珍しい話ではない。
PTSDという言葉を知るまで、そのような現実があることに、
意識を向けることは、きっと難しかったのではないか。
だが、そのような苦悩を抱えて生きる人は、
おそらく戦争や暴力の歴史と共に、太古から存在したのではなかろうか。

「スティグマという奇妙な響きの言葉は、
平静を装う私たちの心の水面に
一つの石を投げいれる。
波紋が起き、広がっていく。
それはもはや、私たちに見ないことを許さない。
言葉が現実をあらわにし、
現れた現実は二度と覆い隠されることがない。」

パラダイム・ロスト(表紙)

引用:「パラダイム・ロスト~心のスティグマ克服、その理論と実践」
2015、サルトリウスほか、監訳:石丸昌彦

共同体の一部として引き受ける

さて、ではどうすればよいのか?
私たちは、この居心地の悪い場所で、どのように生きていくべきなのか?

スティグマなんてない!ということはできない。
実際に、精神疾患をとりまく環境は、一般の疾患と異なることを、
受け入れざるを得ない。知らなかったことには、できない。

スティグマがあるってことを、みんなが知ればいい!とも言い切れない。
安易な言葉の拡散は、時に差別意識の拡大を生む、かもしれない。

では、どうすればよいのか?
一つの答えは、やはり「対話と共感」ではないか?

「精神病」という人はいない。
そこに、心に病を抱えた「人」がいるのだ。
「障害者」という人もいない。
そこには、様々な困難の中でも生き続けている「仲間」がいるのだ。

希望の大陸を目指して

前出の「パラダイム・ロスト~心のスティグマ克服、その理論と実践」は、
第1部で11箇条の旧い(失われた、いや捨て去るべき)パラダイムの誤謬を指摘して、
スティグマについて明晰に論じた後、第2部では具体的・実践的な観点から、
アンチ・スティグマ活動の指針を解説する。

原著の表紙には「大洋を航海する二本マストの帆船が、
目の前にある滝から今にも奈落に落ちようとしている」さまが描かれていたそうだ。
それは「大西洋を西に向かうと果ては滝となって地獄へ落ちる」との迷信が、
近世までのヨーロッパにあったことを想い出させる。

コロンブスが偉大なのは、「結果的に」新大陸を発見したことではなく、
迷信に凝り固まっていた乗組員を忍耐強く説得して西へ向かわせ、
彼らの旧いパラダイムを乗り越えさせたこと、なのかもしれない。

私たちも、不知・偏見・差別といったスティグマを、
無いことにはせず、かつ、それを責め立てることもせず、
病に苦しむ人に想いを馳せて、互いを受け入れあい、
勇気を持って歩むなら、いつかは見果てぬ希望の大陸を見出すのかもしれない。

あなたには、心を病む仲間がいますか?
彼ら、彼女らに、何が必要なのか、耳を傾ける勇気がありますか?

 

投稿者プロフィール

橋本成年
橋本成年
宝塚市職員として22年間勤務して、政治の道を志し2021年3月12日に退職
元宝塚市職労執行委員長
元宝塚まち遊び委員会理事
キリスト教徒(カトリック)