はじめに

今回の事件についてライターで話し合い、声明を発表しようという企画がライターのaruiruから提案された際、バリアフリーチャレンジ!として真正面から取り組むことにためらいがあったことを正直に告白しておく。私は情報発信者であり、様々な事象について感度が高いことが求められる。また、身体障害者でもある。障害種別は異なるものの、今回の特集で取り上げる精神障害者に対する人権侵害について、敏感に反応するのに十分な社会的背景を備えた人間と言えるだろう。しかし、私は即座にそのような反応を示さなかった。いや、正確には示せなかった。

ライターチームには福祉分野で働く専門職が複数いる。彼らがミーティングで示した反応と私のそれにはかなりの温度差があった。私の何かが「ズレ」ているのかもしれないと思わざるを得なかった。本稿では、その「ズレ」について考察し、後に続くライター達にバトンをつなぎたい。

事件を知っての第一印象

バリアフリーチャレンジ!として声明を出すにあたり、ライターチームによるオンラインミーティングを開催した。
そこで意見交換した際、企画者のaruiruに事件のことを知っての第一印象を問われ、私は率直に「今回の件をあまり身近に感じられなかった」と答えた。

あなたは精神障害者を身近に感じていますか?

これまでの人生において、何人ものうつ病の方と私は知り合ってきた。
ライターにも精神疾患の方がいる。私の職場にもいる。
確かに身近に存在しているのだが、その方々の日常は車いすに乗っている私のような障害者と比べると「見えにくい」ので、生活を想像しにくい。
そう、知らないことで距離ができていた。机上の勉強でも分かることはあるが、それでは身近には感じられない。


それ故、精神障害について「当事者意識」が育ちにくい背景があると私は仮説をたてた。
とはいえ、当事者に面と向かって、障害について根掘り葉掘り聞くには深い信頼関係がなければ難しい。
私は幸運にもインタビュー活動でライターの西村さんとパニック障害について過去に以下のようなやりとりをしたことがある。

(島本)
素朴な疑問ですが、
パニックがあって疲れやすい感じと診断が出ていなくても
心配性というのがありますよね。

どういう違いがありますか?

(西村)
他の方の心配性がどういうものか
僕には分かりません。

でも、昔の自分と今の自分の比較
はできます。

それに照らすと明らかに
程度が違いますね。

心配性の方も疲れやすい
のかもしれませんが。

 

これくらい話せると、手触りのようなものを感じられる。それでも精神科に入院している人、していた人とはこのような距離感で話した経験がなく、「我が事」と感じにくかったのは間違いない。どの時間帯のニュースでも繰り返し報道がされるほどには、この事件は注目されていなかった。嫌でも情報が入ってくるコロナのようなトピックでない限り、自分から調べる意識がなく生活している限り、精神障碍者の入院生活について知ることはありません。
前述の「ズレ」は知らないことに起因していると考えられる。つまり、「知らない」はバリアを生む。障害当事者の知り合いの多い私でもこうなのである。世間一般の温度も推してはかるべしだ。しかし、ライター達と話して「けしからん事件だ」で終わらせてはいかんと覚醒した。

 

この企画で私が実現したいこと

で、この企画を推進することになりました。声明において、「人権侵害の黙認という堅い土壌」と表現しているが、ここにアプローチして変えていきたいと思っている。知らないことを人は考えられないし、考えないで行動が変わることはあり得ないだろう。前述の「ズレ」が生じるのは、「知らない」からである。大切なことなので、繰り返すが、知らないことが「無関心」というバリアを生む。逆に言うと、知ることで変わっていくという希望がある。

今後2,3か月かけて、ライター各自がミーティングの議論を踏まえてそれぞれの想いを記事にしていく。この特集がライターチーム内にとどまらず、この記事を読んでくださる方々に共有されれば、この領域のことを知るきっかけになる。考え、行動していくというプロセスの第一歩としたい。
多様なライターがもつ異なる視点からの記事から私自身次の企画に繋げられるように主体的に行動していく。

この特集はバトンをつないでいく連載という形を採るので次のライターとして、ライターの中で福祉専門職でなく、保護者という立場で私と同じく障害について当事者性のある りょう育ママにバトンを渡し、特集の序とする。

 

投稿者プロフィール

島本 昌浩
島本 昌浩
バリアフリーチャレンジ!代表
challenged-view編集長