あなたはなぜその支援をするのですか?

ボランティア活動に関わるようになってたくさんの支援者たちと出会いました。純粋に「世の中のために」と考えている人、自分の生きがいとして頑張っている人、支援活動を通して有名になりたい人など活動の動機は様々でした。

活動の原点を常に見つめることが軸がぶれない鍵だ・・・と最近感じています。

「愛しすぎる女たち=共依存」から学ぶ

日本では「愛しすぎる女たち」という題で出版された「Women who love too much」というノーウッドさんの本があります。

アル中の妻症候群ともいうべき「自分は犠牲になってもあなたを支えてみせます」といった妻(多くの場合アル中は男性)の様子がよくわかります。

彼女達はかいがいしく世話をしたり夫の尻拭いをすることを、大変だと思いながら、実はそこに自分の存在価値をみいだしている面があります。

つまり夫の断酒を願いながらも、しかし断酒されてしまっては困るのです。

相手に尽くすことでしか愛せない状態では、成熟した男女関係を結ぶことが難しいのです。このような状態を「共依存(co-dependency)」といいます。

「アダルトチルドレン」のメンタリティから学ぶ

依存症の親を持つと、その子どもへも影響を与えます。

「アダルトチルドレン」という言葉が意味を変えて一人歩きしていますが、これは元々、アルコール依存症の親を持って子ども時代を過ごした大人のことを指しています。Adult Children of Alcoholicsが正しい言葉です。

彼らの共通のメンタリティーは「罪悪感」です。

具体的に言うと、「ひどい親だけど、僕がいないとだめなんだ。」「僕がちゃんとしないと・・・。」といった感覚です。その罪悪感ゆえ彼らは子ども時代を自分らしく過ごせていないことが大半です。

例えば、いるのかいないのかわからないように気配に気を配りながら生きたり(ロストチャイルド)、

両親の叱られ役になって彼らのコミュニケーションを成立させたり(スケープゴード)、

やたらおちゃらけを言って明るくしたり(道化マスコット)、

自分が頑張って家の不安を跳ね除けようとしたり(ファミリーヒーロー)します。

彼らのいずれも成人以降の異性関係が不安定であるという共通項があります。それは、相手に尽くすことでしか自分を出せないという誤った愛し方を学習してしまっているせいです。

相手に尽くすことで自分の自己実現を図っていないか

「困っている人を助けたい」という奉仕精神が旺盛な人がいて、その人が何かボランティアや支援活動をされるときに、この共依存の話を思い出して下さると嬉しいです。

たとえどんなに素晴らしい活動であっても、その活動が「相手に尽くすことで自分の自己実現を図る」共依存になっていては本末転倒だからです。

その人が独立して幸せになってしまったら自分の活動がなくなります。その人の幸せを望みながらも、反面、幸せになって自分から去られてしまっても困るのです。

その人がいつまでも支援が必要な状態でいてくれることを、こころの深層のどこかで少しでも望んでいないかどうかを絶えず自己点検していく必要があります。

もうひとつは、その活動が自分のこころの中にある自己承認欲求を満たす道具になっていないかという振り返りです。知らず知らずのうちにその活動そのものが自分の自己実現の手段にすり替わっているということもあります。

活動をしている自分自身が世間からもっと評価されたい…とか、頑張っている自分自身をまわりの人はもっと尊敬してほしい…という気持ちがくすぶりはじめた時は、実はかなり要注意な時期だと個人的には思っています。

「ボランティア活動をするのならば自分のアンダー(一番無理をしないレベル)でかまわないから絶対に細く長く続けること」というのが恩師のアドバイスです。勢いに任せて最初から飛ばして、結局息切れして活動自体をやめてしまうパターンが多いことを忠告してくださったのだと思います。

「恩送り」「恩返し」の人

支援活動がうまく軌道に乗ってきても、決して傲慢にならずどこまでも謙虚な活動家が身近にいます。

その人は支援活動を始めた頃の気持ちをいつも忘れてはいません。

一緒に活動する仲間のことはもちろん、相談に訪れる一人一人のこともいつも大事に考えてくださっています。

その人の活動の動機は「恩返し」「恩送り」だそうです。

「自分が困っていたときにずいぶん助けて頂いた。なので今度は自分がお返しする番!」と笑顔でおっしゃられていました。

純粋に周りの人の幸せを望む気持ちを忘れないことこそが、支援やボランティア活動をする際の原点なのだと思っています。これからも初心を忘れず小さな歩みながら進んでいきます。