<聞き手:島本昌浩>
対談実施日:2021年2月26日

障がい特性について

(島本)

障がい当事者同士なんですけど、
過去にも私とは種類の違う聴覚障がいのある方に
手話通訳者同席で対面で話を聞いた経験があります。

全く聞こえない、少しなら聞こえる等、
人それぞれ違うので、
その辺のことをまず伺います。

耳が 聞こえにくくなった経緯としては、
幼い頃の高熱が原因なんでしょうか?


(高木)
両親がろうあなんですよ。
お父さんお母さん2人とも聞こえない。

だから、遺伝的要素もあるでしょうし、
それに加えて1~3歳までの間に高熱を出して

難聴が進行して呼んでも振り向かなくなったと聞いています。


(島本)
うなんですね。
高熱を出した後に
より聞こえにくくなった?


(高木)
そうですね。
高熱を出すまでは
呼んだらら振り向いていたと聞いています。

(島本)
わかりました。

で、そこからずっと今まで40年近く、
そういう状況で人生を歩まれてきた。

今日初めてお目にかかって、
すぐにちょっとマスクがあると口の形を読むので
わかりにくいとか今のはほとんど聞こえてない
という感じの意思表示をしてくださって
私はとても好感を持ちました。

(高木)
いやいや それはやっぱり人それぞれですから、
もっと聞き取りにくい人も結構いるんですよ。
からそれは仕方ないと思います。

高木さんの持ち味

(島本)
いや、私の側の話ではなくて、高木さんがそのように
自分が情報を受け取れてないよっていうことを相手に示すのは、
昔からできていたことなのかというのを知りたいです。

週末の散歩コースという明石海峡大橋を望む舞子公園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(高木)
特に聞き取りにくいので、
ゆっくり喋ってくださいとか、

もう1回言ってくださいとか、
そういうことを昔からしているかということですか。

(島本)
はい。

(高木)
そうですね。
長い付き合いの 仲間とかとの
食事会のとき、聞き返せたり、
ここは聞こえなかったと伝えたら
もう1回言ってくれているのは、

これをやったら高木は喜ぶ。
だから言ってあげよう
配慮しようと思ってもらえるような
信頼関係を築けているのが背景にあると思います。
私は付き合いが広くはないんですよ。
半面、細い付き合いを長く大事にしている。
だから、10年以上の付き合いっていうのが多いです。

(島本)
うんうん。

それくらい関係性を 大事にするように意識しています

(島本)
そういう対人関係の考え方っていうのは
どういうところから芽生えたんですか?

(高木)
もう、 中学校小学校の頃、昔から少数の人間関係で
満足しようとする傾向がありましたし、
付き合いが少数だからこそ、長く続けようと。

それが周りから高木の良いところやと
特に三十代後半ぐらいから言われるようになった。
今ので回答になってますか?

(島本)
OKです。
障がいの状況の確認をもう少し。
今の状態としては、右はほぼ聞こえていない。
左は補聴器があれば、
人の声を少しは聞き取れる?

(高木)
そうですね、
聞き返したり、場合によったら

よくわかってないところもありますけどね。

(島本)
もちろん聞こえにくかったら、
不便なところは生活上あると思うんですけど、
逆にそういう不便さがあるからこそ
人間関係でよかった
ところは
これまであったりします?

つまり、付き合いで何かはっきりと
相手に意思を伝えられているとか。

(高木)
例えば、障がいがなければ、
ここまで頑張れたかっていうのは、
わからないんです。

特に、10代、20代は障がいを
受け止めきれてなかった。
もっと頑張れると
障がいを拒絶してた時期もある

コンプレックスでした。

(島本)
そうなんですね。

(高木)
受験勉強とかに露骨に出るんですね。
大学の部活も 討論クラブを選んでるんです。
ディベート、ディスカッション。
卒業してから同窓会があって、
そこで聞き取りに苦しむわけですよ。

手話サークルとかに入る方が、
楽ですよね。会計サークルとか。
でも、過去の高木はそうしてなかった。
過去が今とそしてこれからとも結びつく


だけど、聞こえる限りは
コミュニケーションをしたいと思いますね。

れは自分の生きがいというか、
やっぱり聞こえることが嬉しい
というのがあるんです。

それは島本さんが今おっしゃったように、

なんか苦しいところがあるから、
余計感動する。ありがたみがわかる。

そういうところもあると思います。

(島本)
わかりました。
ありがとうございます。

公務員としての高木さんの歩み

大学を卒業してからの
経歴を教えてください。

(高木)
大学校卒業後、大阪中央児童相談所で4年間
福祉職に従事。その次に、
岐阜市役所で税金関係の仕事
を 4年間、
そして、宝塚市役所で教育委員会の庶務
の仕事を中心に8年間、
こんな感じです。

(島本)
ということは、今までずっと公務員として
お勤めになってきたんですか?

(高木)
一時期アルバイト生活もしていました。

アルバイトは収入も不安定で、
何かと不安になりがち。
1ヶ月の収入が6万とか8万とか
そういう時期もあったんで
それはめっちゃわかりますよ。

(島本)
そんれはなかなか大変ですよね。

公務員のお仕事を中心に今までされてきて、
現在は宝塚市の教育委員会でお勤めされていると。

で、そんな中、ご縁があって、
バリアフリーチャレンジに
今回ご参加となりました。

(高木)
ありがとうございます。
よろしくお願いします。

(島本)
こちらこそよろしくお願いします。

3月に自費出版をされるんですか?

(高木)

はい。

(島本)
これはどういう経緯で自費出版に至ったのでしょうか?

(高木)
内容?経緯?

(島本)

どっちらも聞くことになると思うので、
どちらでも話しやすい方からお願いします。

(高木)
三つの自治体での経験とそこから言えること。
更に学生時代にわたる半世紀の経験談と教訓ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(島本)
なぜ出そうと思われたんですか?

(高木)
う~ん。
一言では表現するのが難しいですね。

(島本)
一言じゃなくて大丈夫です。
今のタイミングっていうのは何だったのか
という切り口だとどうでしょう?

(高木)
これ、自費出版だから無償なんですよ。

お世話になった方々への感謝を深く掘り起こすことができたんですね。

そして自分が世のため人のためにできること。
それぞれ思いがあって、自分の価値を
世の中に
提供できたら嬉しいというのは、
障害のあるなし関わらず、
いろんな人がもつものやと思う
んです。

今回の出版は、そうですね、
三つの自治体経験とそこから言えることとを
聞いてみたいという声をこれまでに
聞いてたんですね。
自分で実際に書いてみて読んでいただく。


これはなかなか遠回りだったけども、
教訓がこれからの人たちの何かに活かせるんじゃないか
というような
この自分の直感でこれがいい
と思ってやったことが実際にやってみて
走ってみて形になってきた。

これが お世辞も含めてでしょうが、
「いいんじゃないか」と言ってもらえている。

して公務員の仕事に左右されずに
自分の思いを投げることができる。

公務員をしながら、
例えば農業などをやることもできますが、
身体を使うのが私はあまり得意でない。

他方で出版というのは、
クリエイティブやと思ってるんです。
ろいろ考えながら、編集したり、
発信できるので、自分に合ってるかな
と思っています。
討論クラブというのも、
考えて、自分の意見、考えを
言葉にして発信するわけですね。

昔は発言でそれをしていた。
それを活字にして発信する。

共通しているのは、
考えて自分の意見を繰り出す
ということ、
これは創造性の高い活動。

今、島本さんに問いかけていただいたおかげで、
そういう見方もあるなと、気付けました。

バリアフリーチャレンジ!に
新風を吹き込む高木さんのバイタリティ

(島本)
そうですか。
今回バリアフリーチャレンジに参加いただいて、
出版同様、うちで書くことをして頂きます。
今までのメンバーにはいなかったのですが、
最初の段階から他にも、
高木さんは
ウチでやりたいと思っていることが
具体的にあると事前に伺いました。

端的にどんなことを考えていらっしゃるのか
ご紹介願います。

(高木)
関学高等部のパソコン教室とコラボレーションして
障がいのある子どもたち
にプログラミングの喜び、
ホントの楽しさを子どもの頃に経験をすることで、
将来の可能性を広げてほしいと思ってます。

今考えていることの一つがこれですが、
アイデアは他にも持っています

(島本)
そのプログラミングを障がいのある子どもに
というのは、
高木さんと同じ聴覚障がい
のある子どもたちを想定して
いらっしゃるのでしょうか?

(高木)
発達障がい
発育がマイペースなお子さんも
いらっしゃるでしょうし、
メンタルヘルスに関わる障がい、
車椅子のお子さんもいらっしゃるでしょうね。

プログラミングに対応できるのであれば。

(島本)
障がいの種別で特に限定はしない
ということですね。

(高木)
関学の先生は
大人も来てくれていいとおっしゃっていて、
健常の方でもこういう子どもたちとの
交流を私がやることで、固まるよりいろんな人が

交流することで、
これがバリアフリーに繋がっていく
と思うので、
これはやっていきながら考えたいな
と思っています。
やってみないとわからないところもある。

(島本)
ちょっと今は、質問の仕方の関係上、経緯が飛んだんですけども、
高木さんが関西学院の高等部の先生と面識があって、
そこのパソコン教室を無償で使わせていただけると。

(高木)
ただし2年という制限付きです。
この先生ともう1人の先生が2年後に退職されるので

ここから先は、もう繋がりがなくなります。
この間に実績が認められたら
頻度が高まるかも知れない。

このチャンスとして使ってほしいと言われています。

(島本)
この交流っていうのは、
募集するのが障がいのある子どもだし、
その子どもたちとそのパソコン教室を使っている
関学の学生が交流するということですか?

それとも、応募してきた子ども同士の交流を
促進したいと関学の先生が考えていらっしゃる?

(高木)
ちょっとそれるけどでいいですか。
宝塚の今の職場で、「トライやるウィーク」って知ってますか?

ウィキペディア(Wikipedia)より引用
トライやる・ウィークは、兵庫県が、
1995年の阪神・淡路大震災、1997年の神戸連続児童殺傷事件を機に
中学生に働く場を見せて学習させようとする趣旨から、
県内の中学2年生を対象として1998年度から実施されている職場体験、福祉体験、勤労生産活動など、
地域での様々な体験活動である。

(島本)
はい。

高木)
あれを担当させてもらったんです。

それも文部科学省の無料プログラミングサイトを使い、
子どもたちが作品作りを楽しむ
そういう時間をつくったんです。
だから、作品を発表し合う
また、このプロセスで
「こんなん作っとん?おもろいな」

とか笑顔が生まれた。
これって仲間づくりりの一環になると思うんです。

こういう場があって行ってくれたらいいなと思います。

今、日本は IT プログラマーの需要があるにもかかわらず、
不足している。
で、実際に就職活動や専門学校の段階で
今度いきなり選んで、こんなはずじゃなかった

と言って辞めていく人もいる。


だから、これまでの時間に経験したことは

だいたい感覚がわかる。
感覚がわかるだけでも違うと思うんですよね。

ただ、子どもだけではなく、
社会人の方も想定しています。

個人的には社会人の方がむしろ大事だと思いますよね。

ただ、先生が、やっぱり子どもと関わるのが好き
という
そこはちょっと許してあげてほしいと思います。

(島本)
私の方で許す、許さないとかそういうのはないです。

参画していただいて、やりいいことを
具体的な企画として最初から持っていらっしゃる
ということで、
私としては大変心強いです。

穏やかな風貌、語り口とその内に秘めたバイタリティとのギャップ が魅力的な高木さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(高木)
ありがとうございます。

ただ実際にやってみて、
うまくいくものはやったらいいと思うんですが、

やってみたとわからない。

(島本)
そうですね。

多彩な活動実績

過去にされていたという、
障がいのある学生のインターンを支援する活動
についても教えて頂けますか?


(高木)

どういうふうに喋ればいいですか?

(島本)
どういう活動だったんですか?

(高木)
大阪市役所在勤時、
そのときは一時保護所の指導員をしてたんですよ。
土日出勤があるので、
平日に休みが取れるんですね。
休みの平日にする活動として、
企業へのメール送信等で
インターンの受け入れ調整をする

ある企業ではンターンシップを通して、
低身長の障がいのある就職浪人の方が
落ち込んでたんですけど、
インターンシップを通して就職が決まった。

取り組んでよかったと手紙をもらいました。


面接とかだけではわからないじゃないですか。

働いてみてみて相性で決める。
それやったら労働と何が違うんだ

ということになるんですけど、
インターンシップに関しては、
就業体験ということで、
労働にはならないですね。

労働は 雇用側が強いけれども、
インターンシップは参加するの側の主体性に合わせられます。
で、 インターンシップを通して、
お互いにどういうものかと知り合っていくのは
障害のある人にも相性がいい
かなと思った。


だけど、実際には障がいの軽い人、
あるいは能力のある人、この人たちは
どんどん自分で道を拓いていく。

結果、障がいが非常に重い人。
就職できず困る人というのが、こちらに来る。

そういうのは、言い方悪いけども、
企業は 例えば脳に腫瘍があるとか、
こういうことを聞くだけで引いてしまう
という経験ももしました。

そういう経験もできたから良かったと思う。

でも、言うたときは、響きはいいけども、
実際にやってみたら失敗しました。


(島本)

あと、キャリアコンサルタント
の資格取得を考えていらっしゃる?

(高木)
はい。これから取得したいです。
その話しましたっけ?

(島本)
やりとりの中に書いてました。

(高木)
聴覚障がいがあって、
通信通学
いずれにも
この壁を乗り越えないといけないけども、

乗り越えることができたら、組合活動でも活かせるし、
自分の管理や自分がどう生きるか
見つめることもできる。
いろんなことに感謝できると思うので
取得したいなと。
宝塚市役所にも話はして、
人事課から応援してもらっています。

(島本)
そうなんですか。

(高木)
隠し事ははっきりしないようにして。
だから例えばバリアフリーチャレンジに、
当事者が多く、
就労や仕事に悩む人がいたら、
適材適宜
相性の良い人が話を聴く。
この時私も聴けたら嬉しいというのはあります。

急展開 島本のキャリア相談

(島本)
私自身が契約社員として
現在働いてるんですけども、

(高木)
島本さんが?

(島本)
はい。

来年の秋までが契約期間なので
その後のキャリアをそろそろ具体的に
考えていく必要があります。

(高木)
そうなんですか。
私は公務員なので、

やっぱり公務員をすすめます。

公務員採用よもやま話

(島本)
この年齢になるとなかなか公務員の募集
はないと思いますが。

(高木)
いやいや、 障害者枠ね。

大阪府とか59歳まで募集してます。

障害のある職員で言うと、
国家公務員もね。

大阪に経産省とか厚労省とかの
合同庁舎が
あるじゃないですか。
あそこは募集してます。

(島本)
59ですか?
59から働いてもすぐ定年じゃないですか。

(高木)
59でなったら1年だけどね。
それでも募集はしてます。
水増し問題があったじゃないですか。

※法定雇用の水増し問題。

ウィキペディア(Wikipedia)より引用

障害者雇用水増し問題(しょうがいしゃこよう みずましもんだい)とは、
2018年に発覚した雇用に関する不祥事で、省庁及び地方自治体等の公的機関において、
障害者手帳の交付に至らないなど障害者に該当しない者を障害者として雇用し、
障害者の雇用率が水増しされていた問題である。

あれを受けてちゃんとやってる自治体でも

年齢上限を見直しているところが大阪府みたいにあります。

(島本)
大阪府は結構年がいってても採用してるんですね。
ちょっと調整で採らないといけないっていう感じですか?

(高木)
大阪府はもともと法定雇用率を満たしてたと思います。

(島本)
いずれにせよ広く門戸を開いている?

(高木)
そうです。

だから調べれば関西でありますよ。
これ私は公務員を中心にやってきたから、
私が民間を薦めるって無責任じゃないですか。

(島本)

(高木)
だけど、やっぱりどこの自治体でも
厳しいところはありますよね。

厳しいけれども、仕事はやりがいあります。
三つの自治体で働いたけど、公のためにというか、

人のために、世のために働けてるという感覚があります

 安定性もある。待遇面もいいと思います。

(島本)
ですよね。

(高木)
ですから、
一つの選択肢として。

行政書士に合格したわけでしょ。

(島本)
ただ、公務員ってちょっと試験の内容がまた違って
特に試験範囲が広い印象があります。
働き、活動しながらその対策をというのが成立するか。

(高木)
自治体によるんです。

自治体によっては、 教養試験だけで
専門科目がないところもあるので。

(島本)
どっちかっていうと私の場合、
専門試験の内容は苦にならないけど、
教養試験をやめてほしいです苦笑。

(高木)
これなんでかというと
公務員って仕事の幅が本当に広くて
私はそうだったんですけど、
こういう仕事もやるのかと。
不本意に感じることもあるんです。
で、教養の試験って、幅広いじゃないですか。
こんなことまでやらないといけないの
っていう感覚はちょっと似てるんですよ。

(島本)
笑。

(高木)
それを乗り越えられるかっていう。

(島本)
え、そういうこと?

(高木)
そういう見方を私はしてますね。

(島本)
その視点は面白いですね。

(高木)
でも、できることが増えていくと、
不本意に感じることって減っていくんじゃないですか?
こういうふうに捉えるのはありかなと思います。


(島本)

バリアフリーチャレンジでも
そのキャリアコンサルタント的な視点を

生かしていただけることを期待しております。

(高木)
是非やらせてください
そうですね。
でもこれも可能であれば、
組織の中の問題、
公務員の 仕事の問題とか
こういうのは見込んでいます。