<聞き手:島本昌浩>
<インタビュー実施日:2016年4月7日>

難病当事者による難病者のための自立支援

自身、このインタビューで初めて難病というカテゴリーに切り込みました。
ゲストは、NPO法人京都難病支援パッショーネの理事長上野山裕久さんと
利用者のアセスメントやモニタリング等を担う支援員の井上仁さんのお二人です。

http://npo-passione.org/

ゲストに2人をお迎えするのも初めての試みで副産物も発見できました。
それは、ゲスト同士がそれまでにお互い知らなかったことを知る機会にもなるということです。
機会があれば、今後も取り組んでみたいと思います。

*****

京都難病支援パッショーネは2011年の設立。
障害者手帳を取得できない難病患者同士が在宅でもできる仕事をワークシェアすることにより、
社会的及び経済的な自立を目指しています。

『支援・補助を求めることを主としない』を理念に就労支援活動を行い、
雇用創出を目指しているのが大きな特徴です。
現在、重症筋無力症やクローン病、パーキンソン病などの方々がスタッフとして在籍されています。

*****

―現状、難病が一般の方に身近ではないと思います。
ですので、前提としていくつか伺っておきます。
いわゆる難病法が施行され、医療費の助成適用疾患が拡大しましたよね?


(上野山)

今指定難病が300強になりましたね。

拡大したとはいえ、その適用外の難病もかなりあるという理解でいいでしょうか?

(上野山)

希少難病と言われるモノは7,000とか聞きます。

―また、障害者総合支援法の改正によって、
ある程度の福祉サービスが受けられるという制度設計にはなったと思います。
その中で、パッショーネでは、利用条件に「障害者については要相談」とあります。
これは障害者手帳を取得されている方は制度の恩恵を受けやすい。
他方で、手帳を取得されていない難病患者は特に福祉制度の恩恵を受けにくいという認識に基づいて、
端的に言うと、難病の方を優先的に支援するという趣旨でいいのでしょうか?

(上野山)

そうですね。おっしゃる通りです。
障害者手帳を所持されていない難病者の就労を掲げてNPO法人としてスタートしましたので。
障害者を後回しにしている訳でなく応募自体も少ないんです。
今まで難病者でない障害者の応募は一人だけですね。

―それはなぜでしょうか?

(井上)

問い合わせには対応していますが、
うちはバリアフリーではないので。

―そうなんですね。ハード面のハードルがあるんですね。

(上野山)

でも、今事業所へお越しの方は車で来て、
事務所内では這って動かれてます。
障害の種別で言うと、精神の方の問い合わせが多く、採用もしています。

内部障害の方はあまりいらっしゃらない。そんな感じです。

事業所がバリアフリーではないとのことで、私の事務所でインタビューを行いました。

中央:上野山さん、右:井上さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難病当事者である上野山さんの病状は、現在小康状態ということでした。
とはいえ、私も、難病当事者へのインタビューは初めて。
知らないことばかりで気を遣いました。

平成15年、上野山さんが35歳当時に重症筋無力症(波のある病気)を発病し、
入退院を繰り返した過去をお持ちです。
しかし、それを全く感じさせない力強いトーク力をお見せ頂きました。

インタビューの序盤、記事にできない入院中のあるある下ネタ(ご想像にお任せします)
で笑いを誘ってくださいました。そんな上野山さんですが、死を覚悟された瞬間があったそうです。

(上野山)

手術前、最悪このまま寝たきりになると言われ、その時初めて死を意識しました。
手術が終わって退院して、再入院することになりましたが、いつ死んでもいいように準備をしました。
保険証券の整理とか・・・・。世俗的なあれこれ(この表現が精一杯の下ネタ、苦笑)は整理しきれませんでした。

手術する時に自分の身体の加減で「死ぬかもな」という感覚があるんですよね。
でも、「ここで死んだらあかん。戻って整理せな」
というのがあったのが良かったかな笑。生への執着が。

大変やったけど後から思うといい経験したのかなというのはあります。
かといって二度と経験したくない。

ですよね。

(井上)

僕も知らないですけど、上野山さんの手術って・・・。

(上野山)

胸腺腫というのができて、
それが一つの原因ではないかと言われてるんですよ。

(井上)

重症筋無力症の?

(上野山)

そう。それを除去すると、症状が緩和するというデータがあります。

―その手術による侵襲(しんしゅう)で寝たきりになるかもということだったのですか?

(上野山)

そうそう。もともと手術前もほとんど動けてなくて、両手が動かなくて、上げても10秒保持できない。
これが30秒保持できないと手術に耐えられないと言われて、その状態になるまで時間を要しました。

(井上)

手術前にリハビリを?

(上野山)

その時はステロイドを大量に投薬して免疫を抑制しました。
それで明太子くらいの大きさの胸腺の腫瘍を除去したんですけど、
手術中に半分麻酔で朦朧とした時に妻が「これやで」って持ってきましてね、笑。

でも、手術後がしんどかった。
人工呼吸器を使ってたのでそのリズムに合わせて呼吸をしないといけないんです。
合わせないと機械が止まるんですよ。
意識がないと機械に合うねんけど、意識があると機械に合わせにくくて
止まる度に看護師を呼ばないといけない。

(井上)

それは大変ですね。ストレスがたまりますね。

(上野山)

うん。手術後やから痛いしね。
その状態でも毎週競馬してたけど。

笑。

(上野山)

退院するまで毎週やると決めてたんですよ。
看護
師さんに新聞買ってきてもらって。
目もあまり見
えてなかったけどね。

難病あるある漫画で描かれてましたが、
モノが二重に見えるってヤツですか?

(上野山)

そうです。競馬も馬が30頭くらい走っているように見えるという・・・。

(井上&島本)

爆笑。

(上野山)

後遺症で今も少しあります。

(井上)

そうなんですか。知らなかった。

(上野山)

入院してからはそんな感じ。
今までのどれくらい記事になるかな。

(井上&島本)

使えるところあんまりないですね、苦笑。

上野山さんのキャリア

闘病生活のお話からもうかがえましたが、
バイタリティあふれるお人柄が伝わるかと思います。

発症されるまでどういうキャリアを歩んでこられたのか教えて頂けますか?

 

(上野山)

どっから話したらいいですか?

―では、大まかに学校卒業からお願いします。

(上野山)

高校卒業して、記憶が定かではないんですけど、
大学17校落ちて、何をやったらいいか分からない時期もありました。
僕の中にはそういう意識はなかったけれども、
世間的に言う引きこもり状態になって2年いや3年かな。

―その辺の時期はサラッと流して頂いて働き始めたのはいつですか?

(上野山)

その頃は会社で働くというのがイメージできませんでした。
多分すぐ辞めるというのは分かっていて何か独立できる仕事がないか、
と思って、会計事務所で働いて税理士を目指そうというのがありました。
で、専門学校に行きました。

ああ。大原とかですか?

(上野山)

そういうところですね。
で、会計事務所に就職決まって10年間頑張りました。

その間に税理士資格を取られたんですか?

(上野山)

周りの人はみんな税理士を目指して受けてましたけど、
僕は入って1ヶ月くらいで面白くなくなって、「辞めます」って言ったんです。
経理の仕事って過去の事ばっかりで面白くなくて、
終わったことごちゃごちゃやってもしゃあないやんと思って。
その時は内勤だけだったので。

―ああ。

(上野山)

「思ってたのと違うんで辞めたいです」
って言ったら、担当を持たされて。

―行ってこいと?

(上野山)

はい。で、そしたらそれが凄く楽しくて。
でも、税理士には興味なかったですね。

―だから、受験はされなかった?

(上野山)

そうですね。僕はその事務所で自分の力を発揮して、
部署を与えてもらってそこを大きくして行こうという意識でした。

で、その会計事務所にお勤めの時にご病気に?

(上野山)

それが違うんですよ。方針が変わって、分かり易く言うとクビになっちゃって。
表向きは自己都合退職ですけど。最後辞める前が課長職くらいの役職だったんですけど。

―課長という役職があるということは、結構規模の大きい事務所ですよね?

(上野山)

そこまででもなく、せいぜい20人くらいです。
人事の仕事もやっていて等級表とか作ってたんで、
それからすると、僕は課長職だったんです。
でも、あることが原因で責任ある仕事は任せられないということになって平社員になったんですよ。
あんまりないでしょ。課長から平になるっていうのは(笑)。
新入社員並みの給料に一気に落ちて。そうこうしてるうちに担当も外されて。
行っても何もすることがないんで辞めることになったという。それが10年経ってからです。
で、辞めてからしばらくは、そこが忙しくてあまり休みも取れなかったこともあり、遊んでました。

そしたら、前に担当していた会社の方から声をかけて頂いて、
「うちで経理
手伝ってくれへんか」ということで行き始めました。
で、そこで病気が発覚しました。
1年くらい経過して「正社員でどうか」と言われたんですよ。
「そうですね」と話してたら、身体に変調が来て、朝起きても身体が動かないんですよ。
何するにも動かなくて。病院に行ったらこの病気だと言われて。

すぐ診断がつく病気なんですか?

(上野山)

つかないです。でも、僕の場合は分かりやすくて
先生が言うには教科書通りの症状が出てたので即日診断名が付きました。
後から聞いたら、こういうケースはまずないそうです。

へぇ。

(上野山)

入っていくつか検査して重症筋無力症の疑いが強いって言われたんですよ。
で、詳しく検査するから入院しなさいと。

難病って聞くと、病院をいくつも受診してやっと病名が分かる
みたいなイメージがあるんですけど。

(上野山)

友達が近所の病院で働いていて、
その友達にまず症状を言ったんですよ。
僕はまぶたがおかしいと思ってたんで、眼科に行こうと思っていました。
でも、症状を伝えたら、いや、神経内科やでって言われて、それが良かったかなと思います。
眼科に行ってたら、たらい回しやったかなと思って。
だから、発症したのは事務所を退職して、しばらくしてからですね。

そこからは、社会復帰を目指されたけれど、難しかったので、
一気に合同会社設立に向かわれたのでしょうか?

(上野山)

そっからはね、7カ月入院してたんですけど、
退院してしばらく身体も動かなかったのでゆっくりしました。
その時に、前に声をかけていただいたところから、子会社があるねんけど、
そこの経理をやってみないか? と言われて、週に1日だけからスタートしたんですけど、
そこも忙しくなって、結局毎日になって。

―では、まとめると;

  1. 会計事務所
  2. 会計事務所で担当していた会社の経理
  3. 最終的に、2.の会社の子会社の経理ということですね?

(上野山)

そうです。

そこで働きながら、更に、5カ月入院してるんですよ。

(井上)

再発ってことですか?

(上野山)

そう。再発の原因はやはり無理したことですね。
僕は朝もゆっくり目に10時とかに行ってたんですけど、
会社も大きくなり、人も増え、やることも増えてきました。
で、普段は普通に動いてるから、社長も「みんなの手前もあるし、朝から来てくれへんか?」
と言われて(笑)。
9時に出ることになって、夜も遅くまでやってたんで。
で、退院してそこに復帰しました。そうしたら、しばらくしてそこが潰れました。

異色の就職活動

(上野山)

その後は就職活動という流れですね。

その際も、前に勤めていた親会社からお誘いはあったんですけど、
それはお断りしました。また繰り返しになると思ったんです。
自分のペースで仕事を作って行かないとなかなか難しいと判断しました。
それでハローワークに行ったり。

―35歳の時に発症されたんですね。

社会復帰を目指される中で、その難しさに直面した時のエピソードを
取材を受けられ
た新聞記事で拝見しました。

「(面接官に対して)難病患者を採用する際に懸念することは?」
と尋ねられたそうですね? これは就職活動の中で、
この質問を率直に人事担当者にされたんですか?

(上野山)

そうですね。面接のときに言いました。

病気のことが話題になった時だと思いますが、

ストレートには聞きにくいことですよね?

(上野山)

「実際のところ、どういうところが不安なんですかね?」
とか、そういう聞き方をしましたね。

この質問が出たのは、その場で病気を原因に落とそうとしている
という雰囲気を感じたからですか?

(上野山)

この話をしたタイミングは、既に会話の中で落とされた(採用を断られた)後です。

笑。君、無理やでと?

(上野山)

今回ちょっと難しいよ、と言われたタイミングで聞いたと思います。
病気のことを伏せて面接までは行けても、やはり面接の時には言ってしまうんですよ。

―笑。

(上野山)

言ってしまうというか、言わざるを得ないですよね。
月に1回は休みを頂くというのがあると。

―ええ。

(上野山)

で、病名を伝えるんですが、「重症筋無力症」
って名前が良くないんですよね。

―そうですね。深刻な感じがしますね。

(上野山)

あ、そうか。じゃあ難しいね、という展開に必ずなっちゃうんですよ。
そういう中で、親しい間柄の企業には、資料作って(これを申請すると)
「助成金が使えますよ」とアプローチしたり。
これで(面接に)行った2社からは
採用内定もらいましたね、実際。
僕も違う会社に所属して、働いてたことがあったんですよ。

難病者になってから採用されたこともあったんですか?

(上野山)

はい、あります、あります。NPO法人を起ち上げてからなんですけどね、笑。
この助成金分の費用に少し上乗せするだけでいいから雇ってくれと、解体屋さんで。

―ええ!なんか重症筋無力症という病名とほど遠い仕事に思えるんですけど。

(井上)

確かに。

(上野山)

でもね、僕の経験上いわゆるガテン系のところは、
あんまり難病とか関係ないんですよ。

結構大らか(笑)?

(上野山)

そうそう。業界自体がね。
何か病名とかがサラッと流れていきますね。
「ああ、そう」みたいな。

笑。面接で助成金のプレゼン資料を準備されるあたり、
ちょっと普通とは一線を画していると思います。

NPO法人と掛け持ちをしていた時期があると伺いましたが?

(上野山)

でも、その頃はNPO法人は、ほとんど稼働していませんでしたので。
掛け持ちといっても、解体屋さんも毎日入ってないですし。

NPOをやっているから助成金を使うという発想が出てきたかと思うんですけど。

(上野山)

それは前の仕事でもやっていたので、色々と自分なりに考えました。

会計事務所での経験はやはり今に繋がっているという感じですか?

(上野山)

そうですね。色んな枠組みを作る時は、会計事務所といっても会計だけでなく、
人事とか色々やってたんで。経験が生きていますね。
でも、僕は税金の計算とかできなかったんで。
機械がやってくれたらええやんって思ってたんで。

笑。
この就職活動とNPO法人設立が密接な関係にあります。
上野山さんは次のように考えたそうです。
以下、取材メモからの抜粋です。

 

 

*職の安定は困難であり、就職活動で難病があることのハンディを痛切に感じる。

*就職活動で、病気を伝えるとまず面接には至らない。病気の話題になってしまうとダメ。

*難病が全ての理由でないにせよ、相当なハンディであると認識。

*「急に入院等で休まれると仕事が止まってしまう」。つまり、安定した労働力として期待できないのが要因。

これには組織力で対応するしかないと思い、9名の社員で合同会社を設立し、企業と雇用関係ではなく、
受託を行う請負という形で営業をかけていく方が可能性はあると判断。

*ご自身と同様に就職に困っている難病患者も、将来合同会社で雇用できないかと考えている中で、NPO法人を設立することに。

*難病患者が組織力で能動的に社会に働きかける環境にするべく、本格的に取り組みたいと思われた。

現在の活動に至る上野山さんのキャリアの概要は以上の通りです。

上野山さんが現在展開されている事業内容

入院したら、医療費1,000万円超!?

 

冒頭で少し確認しましたが、医療費の助成を受けられる対象疾患の拡大を受けて、
普通に考えると救済される人は増えたかと思います。
ただ、たしか中には助成の対象から外れる疾患も出る制度設計でしたよね?

(上野山)

はい、そういう疾患もあります。
ウチに通っている者
の中で受けられなくなったものがあります。

それも突然というか、今までも「対象から外れる」と言われていた病気はあったんですよ。

でも、今回はノーマークのそれ以外のところに来ました。
「あれ?これなん?」みたいな。

―やはり助成がないと治療を受けるのは、経済的にかなり厳しい感じでしょうか?

(上野山)

そうですね。私の場合も入院している時に明細が届くじゃないですか。
その時、国保だったんですけど、総額書いてますよね。

入院費用入れてトータルで1,000万円超えてましたね。
それが、当時は食事代も無料になって、お見舞金も1万円くらい口座に入ってました。

 

国の制度で救済されない場合でも、民間の保険という手段は有効

 

今は皆で民間の団体保険に入ってるんですよ。
病気でも、持病でも給付があるのでいいかなと思います。

やっぱり入院することが多いので加入する人は結構いますね。
その
入院期間も資金が確保できるように。

―でも、難病の方が加入できる保険と聞くと、
イメージとしては保険料が高いのかなというのがあるんですけど。

(上野山)

高くないんですよ、これが。
私自身保険の仕事をしていたことがありますが、勉強不足で知らなかったです。

過去1年以内に入院してなかったら、審査が告知だけで済むようになっていて、
持病の難病も対象になるという。それで保険料は一般的な商品と一緒ですね。
それに皆入ってるんです。もちろん、井上も私もです。

へぇ。それは保険会社としても商売になるから商品化されてるんですよね?

(上野山)

そうでしょうね。こちらがアプローチしたんでなく、保険会社の方から
こういう事業所であることを分かった上で勧めてもらったので。
審査に漏れた子もやはりいますし、漏れた子は個人で加入することを検討しましたが、
保険料を比較すると2,3倍違うんですよ。
だから、団体保険のメリットは大きいですね。

障害者手帳の取得により障害福祉サービスの対象に

 ところで、上野山さんは難病者として、障害認定は受けていないのでしょうか?

(上野山)

認定されてないです。申請書も出してません。

―それは意思として出さないのか、
認定される可能性がないのかどちらでしょうか?

(上野山)

ある時、可能性がないと言われました。
一番悪い時が寝たきりで車椅子の生活をしていた時もあり、
その時に(申請に)行ったんですけどね。
「障害者手帳欲しいです」と言って、病気のことを伝えたら、
この病気ではまず難しいと。理由は、将来的に動ける状態になる可能性が十分にあるからということで。

―ああ。

(上野山)

車椅子になって3ヶ月くらいしか経っていなかった時でした。
医者に相談したら、診断書は勿論書けるけど手帳は無理やでって言われて
手帳の申請をすること自体を諦めたんです。

難病者でも身体障害者手帳なり、精神障害者保健福祉手帳を
取得されているケースがありますよね?

(上野山)

はい、ありますね。

―手帳が取得できるケースと取得できないケースの違いは何でしょうか?

(上野山)

身体障害者手帳を取得できる人は、病気が障害者の要件を満たす症状になってしまって、
症状が1年半とか2年間固定した場合ですね。

難病でない私のような身体障害者の場合と同じ基準ですね。
客観的な認定基準に照らして判断されるということですね?

(上野山)

そうですね。

実際のところ、取得できた方は社会生活上はいいですよね?

(上野山)

そうですね。僕は、取得できるならそうしなさい
という感じで勧めていますね。
稀に拒む方もいらっしゃるんですけど、障害者なんてたくさんいますしね。
僕は昔の職場が会計事務所だったんで、障害者かどうかを
毎年クライアントに聞いてましたから全く抵抗ないんですよ。

ああ。障害者控除がありますもんね。

(上野山)

なんで拒むのか不思議に思いますね。
僕だったら、手帳が欲しいです。

―笑。なるほど。

障害認定を受けていない難病者は、制度の狭間で福祉の恩恵が届きにくいという事前知識を私は持っていました。

「障害認定を受ければ道が拓ける」とは言い切れません。
でも、そのことによって、受けられる恩恵はかなりあります。

就職における障害者採用枠、医療費の助成も難病者の場合より要件がゆるいと思います。
生の声を聞くことの大切さを改めて感じた内容でした。

事業内容の詳細についてお伺いしていくにあたり、大きい視点から伺います。

上野山さんは難病当事者であり、支援者でもあります。
難病の事をほとんどご存知でない方に向けて、
難病患者を取り巻く現状から考える課題を教えて頂けますか?

(上野山)

課題は、やはりまず「皆さんが知らないこと」だと思っています。

病自体を知らないから、何か怖いってことあるじゃないですか。
それを知らせることによって壁はかなり崩せると思います。

 

そのための知ってもらう行為なんですけど、
今まで「難病について話して」と言われて、
ちょこちょこ色んな話をさせて頂く機会がありました。
でも、自分自身面白くないんですよ。何か四角四面のことを話しているようで。
ただ、その理由は、制度のことを話したからとかじゃなくて、
僕の伝え方に問題があったかなと思います。
で、手段として漫画を使おうと。漫画を使って講演をしたいんですよ。
5月にあるんですけど試験的にやってみようかと思って。

インタビューをしたのが4月で、その様子について、その後に教えて頂きました。
「分かりやすい」という評価だったそうです。
だから、本当に全く知らない人に伝えていきたいというのがあります。
ず、ターゲットにしたいのが中小企業の経営者。

きっかけとして知ってもらいたいと考えてます。
そのための活動もしています。

―経営者をターゲットにされるのはどういう意図でしょうか?

(上野山)

やはり就労ですね。僕らは就労メインで考えているので難病者を採用して欲しいということです。
そこに向かって今布石を打っています。
中小企業家同友会という組織に所属していて、京都だと
「ソーシャルインクルージョン委員会」
というのがあります。
その委員会の活動として、難病にも注目して就労支援に取り組む部会があります。
その部会の責任者の立場をこの1年私がやってきて、更に広めていきたいと思っています。

現状と将来ビジョンをより詳しく伺います。
現状の雇用創出の成果はどんな感じでしょうか?

(上野山)

福祉サービス事業所としてやっているので、雇用の成果となるとどうかという部分もあります。
ですが、
雇用契約を結んでいる難病者は当初思い描いていた数に達しています。

でも、ここで止めるつもりはなく、もっと拡大して行って自分たちでキチンと商売できて、
所得も上げていくというのが最終的な目的です。
最低賃金で月8~9万の人が多いので、
そこからするとまだまだです。皆、もっともっと稼いでいかなあかんというところですね。
人数は増えたけども中身ですね。

人数は今十数人がA型事業所にいらっしゃるんでしたっけ?

 

就労継続支援A型:

雇用契約を結んで、利用者は法律上の労働者としての地位で働き、職業訓練を受ける。また、事業者側は、最低賃金を支払うことが義務付けられる。

 

(上野山)

あと、管理職、支援員も難病者を採用しているので、それも含めると16,7名がいます。

井上さんはいわゆる「健常者」なのでしょうか?

(井上)

実は、私も今は理事長にしか言ってないんですけど、
後縦靭帯骨化症という難病の診断を受けました。

―指定難病ですか?

(井上)

そうです。首の神経がどんどん骨化していく、
老化の一種のような状態です。症状はまだ出ていませんが、老化現象の一つなので、今後加齢に伴い、
症状として、手に痺れが出たりする可能性があります。
難病で原因不明なので痛みや痺れがでれば、
それと一生付き合っていくことになると思っています。

―それが分かった時期って?

(井上)

それが分かったのはパッショーネに入ってからなんです。
パッショーネに入る時は健康体でした。

―へぇ、その順番はこれまで取材してきた中では初めてです。

(井上)

後縦靭帯骨化症という病名も知っていましたし、
お医者さんから「後縦靭帯骨化症だよ」と言われた時は、周りに頑張っている難病者がいたので、
まだ症状が出てないということもありましたが、ショックは少なかったかもしれないです。

自分が先に当事者になっていて、そこに関わりたいというモチベーションに繋がるケースは多いと思いますが、
それとは違うパターンで現在は当事者でもあるということで意外です。

(井上)

そうですね。順番は逆でしたね。

先ほど上野山さんから講演で普通に話をしても面白くないので、
漫画を使って中小企業の経営者にアプローチしたいという話がありました。

講演活動は上野山さん個人のものだと思います。
現在法人として注力されていることは何ですか?

(上野山)

やはり普通の会社と同じですよね。
キチンと商売できる体制を作って行きたいです。
勿論、広報とか大事なんですけど、純粋に売上を上げてキチンと請求書を書けて、集金して(笑)、
という当たり前のサイクルなんですけど、そこに注力して取り組んでいます。
抽象的に言えば、箱の形は何とかできてきたんですけど、
その中身をまだまだ埋めていかないといけない。
ただ、僕一人の力ではできないので、皆の力でそれをやっていかんと、というところですね。
だから、僕が作れるのは枠組みまでかなと。
その中を充実させるのは、僕一人では無理なので皆で作り上げていくという感覚です。

作った仕組みがきっちり回るようにしていく段階ということですか?

(上野山)

そうですね。だから、こういう難病に特化した事業者があちこちにできて欲しいし、
できなければ、僕らが将来的に作って行きたいと思っています。
まだあんまり聞かないんですよ。
うちでもやりたいという問い合わせはけっこうあるんですけどね。
なかなかそれが軌道に乗って行かないという感じですね。

できないなら作って行きたいというのは長期的なビジョンだと思います。
具体的には拠点を増やしていくという話ですか?

(上野山)

はい、そうですね。それは思いますね。
だから、難病者もこのような福祉サービスが利用できるのは、
僕らの先人が勝ち得た権利なので、それをキチンと使えるようにしたい。
それができないというのはもったいないです。

漫画を交えて講演をしていきたいという話がありました。

今されている難病についての講演は専門的な内容が多く、医療関係者が講演をして、
患者が聴く形が多いと、事前に資料で読みました。
上野山さん自身が、当事者の立場から経験をシェアする形の講演をされた実績について教えて頂けますか?

(上野山)

就労についての話をする際、型にはまらないスタイルを試みたことがあります。

パワーポイントを使って文字を読み上げるというのはやめとこうと思って、
単語だけ出して、その場の流れでそれについて話するなど試みました。

あとは中小企業家同友会で発表した時に、一度、4コマ漫画を使ったことがあります。

その時は僕に対して「精神疾患の就労」について話をしてくれと要請があり、
「なんで僕なんかなぁ・・・」と思いつつ、ウチのメンバーにもいるので、
その子の事例を4コマを使って話したんです。
あとは、最初にクイズを出したりして、
なるべく参加型にしたり。今、メンバー間の話し合いで、講演を通り越してるんですけど、
コント形式で劇みたいなことしようかというのが出ています。

面白そうですね。

(上野山)

神経内科の先生とかが話される内容は、
「これ学校の講義かな」と思うくらい内容が高度です。
僕ら患者でもピンとこない。

WEBサイトのTOPにマンガと並んで「そばにいるよ」
というショップのページが紹介されています。
こちらには、「受給者証でできることを紹介するポータルサイトとしての発信力を強化する」
との記述があります。
私自身「当事者として、お役に立てることがないか」
という視点で動いています。
「こういうのがあったらいいな」というのを形にされていて価値を感じます。

このサイトについての手応えはどんな感じですか?

(上野山)

手応えないんです、これ。

え!

(上野山)

いい情報は発信できてるんですけど、商品がほぼ売れてないんです。
お役立ち情報は残して、ショッピングサイト自体は見直そうという話が既に出ています。

売れる商品が限定されていて、それだけ別に移して、そこに注力して行こうかと思っています。

サイト訪問者も商品の情報はそんなに見てないのでこれは見直します。

私はサイトの情報全てに目を通しました。
その辺の課題に関連するかもしれないのですが、
どこかの新聞記事の記載で、この「そばにいるよ」の商品については
難病者に購入してもらうと書いていました。
ターゲットはなぜそこなんですか?

(上野山)

いや、誰でもいいです(笑)。そんなに限定してないです。

―仕組みとして、販売側の初期費用と維持管理費不要。
まぁ、販売側のコストがかからないと。

(上野山)

商品発送の手間とかがかりますけど。
あとは、サイトに掲載するまでの画像などのやりとりだけです。

このビジネスモデルについてもう少し詳しく伺います。

一般的に商品を販売するサイトの場合、販売側が出店料みたいなものを負担すると思います。
そこを無料にしている訳ですよね。
ということは、パッショーネ側の収益は
売れた場合の手数料のみ?

(上野山)

そうです。最初スタートした時は全くお金がなくて、
お金がなくてできる商売を考えたらここに落ち着いたんですよ。

それもやっぱり商品売るのも目的なんですけど、
提携するお客さん増やして何かの繋がりが出来ればいいな、
という狙いがあったので、とにかく出店しやすい形で行こうということで無料で進めました。

最初オープンして数日後に売れたんですよ。
誰か知り合いかなと思ったっら、全然知らない北海道の自衛隊の方から注文が入りました。
全然告知も何もせずシレ~ッとオープンしたんですよ。

へぇ。何が売れたんですか?

(上野山)

「にゃんべる」っていう猫の手の形をしたダンベルなんですけど、

ああ。サイトで売れ筋と書いてあるやつですね。

(上野山)

そうです。自衛隊駐屯地に発送しました。

爆笑。それって自衛隊の方が鍛えるような筋トレ用の商品なんですか?

(上野山)

ではないですね。多分彼女かなんかへのプレゼントかな。
1キロなので自衛隊の人には軽すぎます(笑)。

笑。先ほど売れていないって聞いたのでアレですけど、
これはビジネスモデル的に売上の30%が法人に入って、
そのうちの3%を寄付するんですよね。

(上野山)

実際の寄付額は売り上げの利益分くらいです。
というのも1%で十何円とかなので
それに3,000円とか上乗せしているので赤字です。

そもそもここで稼ぐという考えはそんなにはなかったので。

情報発信について

私のやっていることと共通する内容でとても興味深いです。

漫画事業について詳しく伺います。

(上野山)

前々から僕は漫画を使っていきたいと思っていました。
ただ、僕自身は漫画を描けないです。
何かあればと思っていたところ、
漫画が好きな子もいてるし、紙芝居をやっているメンバーがいたんです。

そこで、紙芝居を使って広報をやってみたいなと思いました。
その流れで4コマ漫画をやってみよう、となりました。最終的には、出版したい。

それにはどういう手順を踏んで行ったらいいか、を皆で話し合い、
まずブログから始めて行こうと。で、現在は週に1回UPという流れで行っています。

こちらです。

http://blog.livedoor.jp/kyotopassione/

 -私自身情報発信しているので、漫画を拝見すると、
「分かりやすく伝える」という点について考えさせられます。

「難病について分かりやすく共感できるような内容で」
というのをコンセプトにして更新しているという理解で合っていますか?

(上野山)

そうですね。きっかけは何でもええから、ちょっと中に入ってもらって
興味持っ
てもらえたらええなと思っています。
押し付けはあまりなくて、ホントに気軽に感じてもらえたらいいかなと思います。
割と難病とは関わりのない人と名刺交換とかする時に「漫画見てるよ」と言って頂けています。

今のお話と関連しますが、漫画を届けるターゲットとして意識されてるのは、
難病の事をご存知でない方と難病当事者、どちらが主になりますか?

(上野山)

今のところ、コンテンツが「難病あるある」なので、
とっかかりとしては当事者寄りになっています。

でも、それをきっかけに制度の話も時々盛り込んで色んな人に知ってもらえたらなと思っています。
まずは自分たちの経験を書くのがやりやすいので、そこからやって行こうと思ってます。

ご自身で漫画は描けないとのことでしたが。

(上野山)

それでも2作描きましたね。イメージは全部頭にあるんですけど、なかなか形にはできないですね。

制作過程としては、そのイメージを得意な方が形にされているという感じですか?

(上野山)

実際「描いて」と頼んで描いている者が2人いますね。

ところで、WEBサイトに記載がありましたが、
法人として難病と捉えているのは、厚労省の指定難病ということでしょうか?
何千とある希少難病までは含まれないということでいいでしょうか?

(上野山)

ウチの福祉サービスを利用できる人に限定しているので希少難病の幅広い人のご希望に応えるのは、
今はなかなか難しいです。
その辺は結構色んなことを言われてますけどね。
きつい人だと「そんな活動じゃダメじゃないか!」
と言う人もいるんです。
でも、「そりゃこっちの財布の事情もあるねん」と思いながら、
「ああ、そうですね」と。「自分でやったらいいのに」と思いますよ。

笑。リスクをとって事業している訳ですもんね。

(上野山)

まあ、そういうこともたまに言われます。
そこは割り切って、行く行くは体力をつけてと考えています。

(井上)

でも、重複の方ならいますね。
希少難病で精神の手帳を持ってる方とか、身体の手帳持ってるとか、
3障害(※身体・療育・精神)の手帳を持っていれば、受け入れ可能です。

ただ、希少難病だけとなると難しいですね。
多いのは繊維筋痛症とか慢性疲労症候群とか。
そういう方で問い合わせを頂くことは多いんですけど、現状難しいですね。

採算を考える必要がありますもんね。

(上野山)

そうですね。

だから、難病というカテゴリーで行くと、指定難病306でしたっけ?

(井上)

で、サービス受けることができるのが332です。

―難病が306なり、332ある中で、この漫画のコンテンツに関しては、
できるだけ網羅していくことを目指されているのか、
それとも難病の中で患者数が多いなどの基準があって、
それを掘り下げるというような方針があるのでしょうか?

(上野山)

今は自分たちが書いているものが大半なので自分たちが描ける病気に限られてますが、
中にはブログをご覧になった方から、「私の病気も」と言う形で原稿を頂くこともあります。

できる限り幅広くたくさんの事例が欲しいと思っています。
この病気について集中的にやっていくという方向性ではないです。

―今あるネタで拡げて行って、
将来的にカバーできる範囲を拡大したいと。

(上野山)

そうですね。今、ウチは消化器系の病気が多いので、
どうしてもそっちに偏ってしまうんですけど。

WEBサイトで謳われている「難病者の社会的、経済的自立」は
上野山さんの大きなビジョンかと思います。
短期と中長期に分けて成し遂げたいことを教えて頂けますか?

(上野山)

短期、この事業年度で言うと、京都で従たる事業所を作りたいです。
パッショーネの事業所を一つ作って行かざるを得ない状況になっています。

今、A型事業所の定員は14名ですが、募集にストップをかけないと僕は決めているので、
もうすぐオーバーしてしまうんです。

人を受け容れるために作らざるを得ないんですね。

(上野山)

今の場所では、物理的に受け入れ不可能なんです。
先日も京都市に相談に行ったら、「現状で受け入れてはダメという規定はないけど、
常識的に難しいので新しい物件を探してください」
と言われたので、今それを探しているところです。

それを作って、新たに受け入れる方々の仕事は既にあるということでしょうか?

(上野山)

そこは受け入れたその者たちが仕事を作っていくという発想です。
最初は仕事があって人を採用するという経営としては当たり前の考えでした。

しかし、それでは人を増やせないので本当に苦しかったんです。
この福祉サービス事業所の運営は、まず人ありきだと思います。

「人をまずガッと採用して、仕事を見つけていこう!」
と普通の経営とは逆のやり方で行こうと思っています。

攻めていく感じすか?

(上野山)

そうですね。攻めるというか、僕はこのやり方なのかなと
2年間やってき
て思っています。

その方が好循環につながると?

(上野山)

そうですね。それくらいの気持ちでいこうと。
だから、最初がしんどかったんですよ。
事業所オープンして、就労移行支援の方は1人もいなくて、A型6人だけでした。

支援員は最初アルバイトも入れれば、10人近くいてたんですよ。
スタートしてからずっと赤字でね。ほんとしんどかった。
いつ辞めようかと思ってました(笑)。
今も助成金やら抜くとまだ赤字なんですけど、
まぁ何とか盛り返していきたいと思っています。
中期ビジョンは今展開している事業を確立させることです。

現状未達成ですが、やり始めて1年経っているので、
今から2年以内には、自分たちの直接の人件費を稼げるところまで最低持っていきたいです。

―よくわかります。あと、長期に関しては、既におっしゃっていたようにもっと拡大していきたいと。

(上野山)

はい。それはNPO法人を設立した時から言い続けています。
まだ見えてないんですけどね。
言ったら何とかなるかなと思って、とりあえず言っておこうと。

 

笑。

(上野山)

一つの方向性として治療というのもあって、
中には京都の大学病院に沖縄から通っている子もいてるんですよ。
見学に来てたんですけど。

へぇ~。

(上野山)

それやったら、京都に短期間でも住んで、治療に専念したりとか、
そういう方法もあるかなと思って。
その際、拠点があちこちにあれば、
ウィークリーマンションにでも住んでもらって、色んな関係性が作れるんじゃないか。
ということで、大学病院の近くに事業所を増やしていきたいという思いはあります。

治療と就労をセットにする感じですね。

(上野山)

はい。僕らの病気でも、東北大学の先生が漢方の治療とミックスさせるというのをやってたんですね。
そういうのを受けたいなと思っても、向こうになかなか行く機会もないし、
向こうに行ってしまうとしばらく帰ってこられない。
そこで、そういうのができるようになればなと。
個人的には温泉地に作りたいんですけどね。

(井上)

爆笑。温泉好きなんですよ。

(上野山)

はい、温泉好き。

ああ。そうなんですね。

(上野山)

重症筋無力症の患者会の全国会が毎年どっかでやってるんですけど、
温泉地やったら行こうかなと思います。
2年前は道後温泉やったんで行きました(笑)。

(井上)

爆笑。

基準がはっきりしていていいですね。

 

パッショーネに入ったら、将来死ぬまでの生活設計ができるようにしたい!

 

(上野山)

あと、これはまだ具体的にイメージができていないですけど、
社会福祉法人化して退職金の制度も有効利用したいとかチラッと思っています。
つまり、ウチの事業所に入ったら将来死ぬまでの生活設計ができるようにしたいです。
そのためには純粋にキチッと商売しないといけないという、そこに全て落ち着きますね。
いくら制度とかを利用してどうこう言ったとしても、
純粋に商いができないとそこには到達できないですね。