インタビュー実施日:2018年8月11日

ーまず、簡単にご発病前後の経緯をお願いします。

(中)
48の時に脳梗塞になり、今年で52になります。
後遺症は片麻痺ですが、上肢の方はそんなに重くなくて指も動きます。

ー発症時処置が割とうまくいった?

(中)
しびれはあったけど、知識もないし、自分がまさか脳梗塞とは思っていなくて、
寝れば治ると思い、寝てしまいました。結果的に半日放置でした。
朝起きたら完全に右が動きませんでした。

ーとはいえ、そこからの処置でも現状右上肢は重いと感じる程度で済んだんですよね?

(中)
そうですね。だから、もっと早く来ていれば、
後遺症はなかったかもしれないと言われたんです。

なぜ放っておいたんだ」

と半ば怒られました。

ー重い後遺症があるのは右下肢なんですね。
学校を出てから発症されるまではどんな感じで生活されてたんでしょうか?

(中)
高校卒業後、就職してずっと事務で働いていました。
発症時は、会社の経理や総務を回させて頂いていました。

―その表現からすると、大企業ではない?

(中)
ホント商店みたいな会社です(笑)

ー障害者になって、その会社は辞めざるを得なくなったんですか?

(中)
会社自体が私の発病前に廃業を決めていて、
復帰は勿論なかったです。失業することも分かっていて、
障害者になり「う~」となっていましたが、職安に通わないといけないと。
元々探そうとしてたタイミングで倒れました。
それが(障害者としての就活の)始まりでした。

ーところで、それまでにご結婚は?

(中)
してないです。実家に甘えて、ずっと自分の好きなことをさせてもらっていました。

障害については全てオープンにするつもりだった

ー倒れた当時まだ40代でそこから仕事を探されたと思います。

(中)
障害について言わずに黙って行ったら、相手もびっくりすると
思っていましたが、職安からこの時点でやはり障害があるので、
就職は
障害者枠でと最初に言われました。
モノを運んだり、サッサと動けないので、

いくら事務でもずっと座っている訳でなく、書類の片づけたりありますし。

企業さんに障害を伏せたまま行って「私これはできません」はダメだと考えていたので、
とりあえず障害者枠でと登録をしました。

―自分の障害についてオープンにして受けないとダメだと?

(中)
職安は障害について開示するかどうか聞きはります。
私も嘘は嫌なので開示してその条件で雇ってもいいというところがあれば
行きたいです、という話をしました。

―その時に、自分の中で整理していたこれはできないというポイントは

(中)
まず、重い荷物は持てない。
で、狭い場所でする作業は難しい。

あと、やはり事務なので、小さい会社だと来客の対応でお茶を出したりは
こぼすかもしれないから難しい。
掃除も
申し訳ないけどすべてはできませんと伝えました。

今まで何気なくやっていたことができず、周りに迷惑をかけてしまう
ということへの葛藤がかなりあり、どうしようという中で
就職決まるまで結果的に2年余りかかりました。

―2年以上かかったということは、何社も応募されたんですよね?

(中)
障害について、私は全てオープンにするつもりだったので、
書類選考で「今回は…」という返事が何件もありました。

―一般的に採用試験で企業に不採用理由の開示義務はないので、
ご縁がなければそういう返事になりますね。

(中)
「障害者枠での求人でない健常者の枠では無理ですよ」
と職安の方からは言われました。

―え?話の流れからすると障害者枠に応募していたんじゃないんですか?

(中)
できたら、健常者の枠でもという企業さんがあれば、
とも伝えていました。

―障害をオープンにしつつ、健常者と同列に
評価してくれるような企業があればということですか?
難関ですね。

(中)
変にプライドがあって、「仕事はできるのに」
というのを捨てられなくて、決まらない期間が長くなるという壁にぶち当たって、
どっかで考え方を変えないとというのが出てきた頃、
「障害者採用の面接会があるから行ってみたら?」
というアドバイスを受けて参加しました。

ただ、皆スーツを着て、意気込んでいる人ばかりのところに
私は軽い気持ちで行ってしまったんです。

で、そこでデサントと吉本興業とを受けたんですが、
「申し訳ないですが、他の方もいるんで」ということでした。

たくさん受けられる面接会がいいかな、と思って行きましたが、
こんな雰囲気とは思ってなくて…。

―自分としては、「まぁ、行けるやろう」くらいの言うたら軽いノリで行った?

(中)
そうですね(笑)。まだ最初で、考えが甘くて無理かなと思いました、
その後も職安に何回も通って探しました。求人が多かったのはコールセンター。
ですが、電話を受けるというのにも通りませんでした。
年齢を聞かれて、その辺も不利というのは
自分でもよく分かってたんです。
50前ということではねられるというのもあったみたいで、
コールセンター
も無理という時にたまたま今働いている近鉄百貨店の障害者枠求人があり、
「家から近いし」という話を職安でしました。

職安の方には「百貨店はきついかなぁ」と言われましたが。

―それはどういう根拠できついと言われたんですか?

(中)
よく分かりませんが、大企業はリクルートになっちゃうみたいなんで。

―いや、企業の採用活動を総称して、「リクルート」と言うんですよ。

(中)
私の勤務経験が小さいところばかりなので、スーツ着てどうこうという経験がなくて、
そこに最初から壁を感じてしまっていました。

―僕は逆にスーツを着ないで面接会に来ている人をあまり見たことがないです。

(中)
(笑)。私は気にせずカジュアルに行っちゃったんで、
根本の意識が違うとそこで思い知らされました。

―就職活動はこういうスタイルでやるんですよというアドバイスは
なかったんですか?

(中)
最初の面接会は私の意識が全然違ったし、「どんな感じか1回行ってみたらいいですよ」
みたいな感じでそこまで言われませんでした。

―そこは職安の方がもうちょっとお節介でもいいと僕は感じます。
「どんな感じの場所なんですか?」と質問もされなかった?

(中)
はい。しなかった私も悪いんですけど。この面接会の経験があったので、
百貨店さんはリクルートスーツかなと思いつつ、近いからもし受けられるのならと思い、
まず職安の方から聞いてもらいました。その時は「気軽な感じできてもらったらいいです」
と言って頂いたみたいで「じゃ、カジュアルな感じでいいんですね?」と確認しました。

 

 

連戦連敗からダメ元で受けた大企業で採用決定

―へぇ~。僕の人生経験からは出てこない言葉で興味深いです。

(中)
「本人さんの意向なんでそれは構いません」と。
で、大企業やし「行ける訳ない」とダメ元やったんです。
で、「書類だけで判断せずにに全員面接する」という方針だったみたいで、
先は分からないけど面接は受けられるということで、
スーツじゃなくて
いいみたいやし、行ってみようと。

―(爆笑)そこのこだわりがよくわからないんですけど。

(中)
ダメ元で気軽に行きました。
で、行ったらホントにリクルートスーツの方はいなくて。
面接して頂いたんですけど、面接後「二次面接に」と言われて。

―一次面接はどんな感じだったんですか?

(中)

結構お堅い方が出てくるのかな、と思っていたんですけど、
フランクな雰囲気で病気がどうやったのか、とか経歴を見て頂いて、
「ここまでやっておられたんですね」みたいな話で「どういう配慮が必要ですか?」
と聞いて頂いて、普通に事務仕事はこなせるんですけど、付随する書類整理とかは難しい
ダメ元やったし、あとで言われるのは嫌だから全部言ったんです。

―(笑)

(中)
そしたら「分かりました。合否については、追って連絡します」と。
30分もなかったです。で、1,2日後に連絡がきたんです。
二次面接に行ったら、その時点でほとんど採用が決まっていたような感じでした。
配属先の
課長が二人来られていて状態を伝えたら、「分かりました。考えさせてもらいます」

という感じで15分程度で終わりました。

ー一次も二次も面接は軽く終わった感じなんですね。

(中)

で、二次面接当日の夜に「採用させて頂きたい」と電話がありました。
「そんなに簡単でいいんですか」という感じでした。それが5月半ばで6月から来られますか、と。
とんとん拍子で、決まる時はこんなに簡単に決まるのかな、と。
面接の時も「仕事は制服じゃないんですか?」と質問したら、「うちの部署は違います」と言われて、
部署内に障害者はいないんですけど、ほとんどパートの方で「そんな堅い感じで来る必要はないです」
と言われて、「フランクな感じで行かせて頂けるのなら、喜んでと。靴も革靴が履けないのでスニーカーで
という話もしたら、「派手なのでなければ問題ないということで。

―自分の心配していることは全て伝えて、お互い了解したうえで採用に至ったと。
良かったですね。結果的に本当に良かったと思いますけど、そこに至るまでに2年以上かかったことについて、
今振り返って「もっとこうしとけば良かった」という反省点はありますか?

(中)
最初の面接会で気付いたことですが、リクルートスーツでキチンとしてという対応をしていた方が早く決まったのかな
というのはあります。ただ、私自身の勝手な考えですけどスーツ着てどうこうというのが

―それは倒れる前の勤務がそういうスタイルでなかったから、中さんにとっての社会人像がそういうものではなかったんでしょうね。

(中)
それが一貫した自分のこだわりみたいなところがあって、結局それを押し通したことになりますが、
それが良かったのか悪かったのかは分かりません。

―最初から最後まで自分の常識で行って、途中壁にぶち当たったけど、結果自分の常識通りの職場にたどり着いた。

(中)

今の職場は大企業ですけど、皆さんすごく良くしてくれて、配属された部署も良かったと思います。

―ホントいいご縁に恵まれましたね。

(中)

はい。ホントにこれ以上はないよ、と周りの皆も言っています。
これ以上望めることはないよと。1年の契約更新で、パートの中でも
「エキスパート」とかいろいろあって、ランクアップできるようになっています。

―ちなみに、正社員登用制度はありますか?

(中)
ないです。

障害者になったことには未だに納得できていない。

―ちょうど2年くらいもがかれていた時期に私と知り合って、
私のイベントにも継続的に来て頂いています。私がお声がけしているのが大きいですけど、
参加して頂いている理由は何ですか?

(中)
自分がこうなるまで障害者のことを考えたことが全くありませんでした。
こうなって分かったことが山ほどあるので、こういうことにもできるだけ関わりたいというのがあります。

私の中に未だに「なんで」というのがあるので、できたら、頑張っている障害者の方の話を聞きたいです。

―「なんで」というのは病気になったことに対して?

(中)
同じ病気の他の方からしたら、軽い障害で済んでますけど、自分としては、納得できてないです。
それを打破するために、いろんな方と繋がっていければと思ってやってるし、もっと何かできればと思います。

ただ、私は発信することが苦手で。

―ちょうど私が今就職活動をしています。障碍者として就職した先輩としてアドバイスがあれば
お願いします。

就職はご縁。書類選考だけでなく、面接で直接見てくれるチャンスのあるところがいい

(中)
難しいですよ。でも、結局はご縁やと思います頭から断られる場合があるので、それが何かなと思っていて、
書類だけで落とされるのは、たとえ障害者枠でも動きが悪いだろうと判断されるのかなと思ったり。

―そうですね。就職活動は障害の有無にかかわらず難しいと僕は思っています。

(中)
たまたま近鉄に私は採用して頂いたのでホントにラッキーというのが本音です。

書類だけで見られると厳しいので、面接のチャンスがあるといいかなと思います。

―現在の仕事内容について教えてください。

(中)
法人外商の部署で近鉄グループ向けの代理店みたいな感じの事務をしてます。
大塚商会のたのめーるとか事務用品を頼むシステムがありますよね。
そういうとこの代理店を近鉄百貨店がしてるんです。それを近鉄のグループ枠で
買う時の受付窓口の仕事をしています。

―近鉄のグループ各社の一括発注窓口ですね。
先ほど採用段階で自分の情報を包み隠さず伝えたとおっしゃっていましたが、
それによって実際にどういう配慮を受けられているんでしょうか?

(中)
まず、棚卸し作業は免除されています。
あと、休みの配慮です。土日は原則休みでそれ以外に
私がずっとリハビリに行っていた木曜日もお休みをいただいています。
この辺の配慮はすごくしていただいてます。

―週休三日ですね。

(中)
そういう契約になってます。

―その契約内容となると、給与がどんな感じか言える範囲で教えて頂けますか?

(中)
給与は倒れる前が20万以上、年二回のボーナスだったのが、
半分くらいで、ボーナスはないです。ただ障害厚生年金を3級で受給しています。

―ということは、まぁそこそこにはなる感じですね。

(中)
実家を出たら難しくなるという感じですけど。

―障害者になったけど、社会復帰して仕事は楽しんでできていますか?

(中)
そうですね。人間関係も良く、毎日仕事に行くのが楽しいです。

―1日の労働時間は?

(中)
10時~17時で休憩1時間ですから、実働6時間です。

―契約は、パートタイムの時給ですか?

(中)
はい、時給です。

―今までこういう感じで来て、まだ50代ですから先があります。
どのようなビジョンを描いていますか?

(中)
今近鉄でステップアップしていくしかないと思っています。
会社からも「ステップアップすれば、いくらかは給料も上がるから
中さん頑張りましょう」と言われてるんです。

―いくらか(笑)。
前来て頂いたイベントで障害者をサポートするようなことをしたい
とおっしゃってましたけど。

(中)
はい。それが具体的に何かというのはまだないんですけど。
何ができるかなと考えています。

―結構マイペースにやってきて、今いい感じになってるのがすごいと思います(笑)。

(中)
なんかいつもそうなんですよ。
「近鉄なんて普通途中から入れないのに入れたのは障害があったからや。
あまり障害どうこう言うたらあかんで」と周りの親せきからは言われてます。

―私も中さんに続けるように頑張ります。