ノーマライゼーションの理念

「社会福祉」とは?

言葉としては、知っていても、きちんと答えられるのは
この分野に関係する仕事をされている方くらいでしょう。

チャレンジドにはかなり関係があります。

では、現在健康で平穏に暮らしている方たちにどう関係するのか、
具体的に考えます。

経済的困窮者や障害者といった社会的に不利な立場にある人々を対象として、
「社会的貧困問題」について、サービスを提供する。

これが従来の日本における「社会福祉」の位置付けでした。

余談ながら、リハビリの世界では
ハンディキャップは社会的不利という意味です。

その意味では健康な人には一見無関係にも思えます。

しかし、その位置づけは急速な少子化と高齢化の同時進行
により、変わってきました。

そう、介護の問題や認知症を患った高齢者の権利をいかに守るか、

という諸課題に直面することになったからです。

ただ、これだけだと、社会的に不利な人々の数が増えただけという話になります。

ところが、福祉先進国の考え方が入り、位置づけに質的変化が起こっています。

現在の「社会福祉」を語る上で避けて通れないのが、

「ノーマライゼーション」という理念です。

この理念の提唱者デンマークのB・ミッケルセンの説明を
要約します。

ハンディをもったままでも、ハンディのない人と変わらない
日常生活が送れるような、生活環境や条件を整備すること

 

これは、現在における全ての国々の「障害者福祉」の基本理念です。

ということは、超高齢社会にある日本の「社会福祉」の基本理念となるべきものと言えます。

 

話を具体化します。

この理念を生活レベルに落とし込んだ時に出てくるのが、

「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」の考え方。

障害があるからこそ気付くこと

「バリアフリー」という言葉は既にハンディがある人が

バリアを感じないように、という文脈で使われます。

他方で「ユニバーサルデザイン」はハンディの有無にかかわらず誰もが使いやすい
設計や製品の仕様といった感じです。

ハンディを持つ当事者としては、この部分について生活レベルで気付くことが多々あります。

一例を挙げます。

段差解消のためにスロープを整備する。

車椅子専用スロープを私は見たことがありません。
ベビーカーを押すお母さんや高齢者も使います。

これは「バリアフリー」であると同時に
「ユニバーサルデザイン」でもあるという典型です。

スロープがあるのは勿論いいことです。

ただ、左半身まひの私が電動でない自走式車椅子で

スロープを使おうとしても、スロープの傾斜によっては使えないことがそこそこあります。

私の力が弱いというのはあるにしても片手と片足で車イスを操る片まひの人が
発揮できる推進力は両腕でこぐ場合より相対的に弱い。

下半身不随の方で両腕が使える場合は両腕でこぎます。
このように下半身付随で、移動手段として、車椅子を使われる方方たちは
個人差はありますがかなりのトレーニングをされています。

操縦に習熟されている方は段差も車イスで乗り越えます。

では、「ユニバーサルデザイン」の推進ということで
既存のスロープの傾斜を片まひの人が使いやすいように全て何とかした方がよいか。

現実的にそれは無理です。

ピンポイントでやるならともかく、お金の使い方としては、あまり合理的ではありません。

以下に述べるような形が良い、というのが私見です。

今あるスロープはそのまま活用する。

よって、自分で登れない場合は人の手を借りるなど
ソフト面でカバーする。
これを「甘え」で片づけると、
暮らしにくい世の中になるでしょう。

助ける側は困っている人がいたら声をかけてみる。

助けて頂く側は助けて下さる方が気持ちよく手伝えるように態度で示す。

実際、障害があることで生まれる幸福なコミュニケーションを
私は数えきれないほど経験しています。

既存のハードの万全でない部分はソフトの力でカバー。

その上で、放置することに問題のあるハードを改修したり、新設する場合は、
より質の高い「ユニバーサルデザイン」を目指す。

「ユニバーサルデザイン」が増えることで
「誰もが暮らしやすい世の中」に近づきます。

「バリアフリー」はそのための手段の一つだと思います。

チャレンジドの私が暮らしの中で感じる不便。

これは、人が高齢になり、身体能力が衰えた時に
感じることに近いはずです。

現状社会的に不利な立場にある人々の感じていることが、
今は健康な人たちの将来の役に立ちます。

ですから、知人にチャレンジドの方がいれば
このブログをご紹介頂けると幸いです。